2章


ずっと出てこないつもりだったんだ。
海斗は無意識に笑っていて、一度も涙を見せなかったから。
そのままずっと自分の気持ちに気付かなければいいと思ってた。

でも現実はそんな上手く行かなくて。
“俺”が予想したよりも早く、自分の気持ちを自覚してしまった。

ずっと気付かなければよかったのに。
そうすれば“俺”はずっとお前の中で、お前を通して世界を見ているだけだったのに。

中学の時、少しだけ“俺”は出てきてしまったことがある。
あまりにも溶け込んでいたから海斗はその事には気付いていなかったけど、きっとその時の記憶は海斗の中で靄がかかっているようにしか残っていないだろう。
まさかその時会っていた奴にまた会うとは思っていなかった。
でもそいつは海斗が何も覚えていない事を特に不審には思わなかったみたいで安心した。

でも転校生がやってきたとき、もう逃げられないんだなと悟ってしまった。
海斗を見たときの彼の様子から、偶然この学校に来てしまった事は分かったけれどそれから海斗の中で何かが変わり始めた。
少しずつ、少しずつ、“俺”に向かって近づいてくる。

ずっと何も知らないまま、自分の気持ちに気付かないまま歩いていけば、もう苦しまないで済んだのに。

でも海斗。
彼と一緒にいることを望むなら、“俺”の事を知らないままで行くわけにはいかない。
“俺”を思い出さないと、本当に彼と歩いていく事は出来ない。

だから。



Act.18



ふとしたきっかけで何かを思い出すことがある。
ずっと思い出せなかった芸能人の名前を、なんでこのタイミングで?と疑問を持つ場面で思い出したり、ずっと返すのを忘れていた辞書を、そいつの顔を見た瞬間急に思い出したり。
まぁそんなことはしょっちゅうだけど、まさか寝ている間にあの時の事を夢に見てようやく思い出すなんて事は初めてだった。

だって2年間、ほぼ毎日会って会話して笑いあって…それでも全く気付かなかったのに、なんでいきなり夢に見て思い出すんだ?

そうだよ。
俺と徹は確かに会ってる。
どうして今まで忘れてたんだろう。

俺はあの時、徹に救われたのに……。






俺は中学に入った時、今までの教科書を整理しようと部屋の中をひっくり返していた。
母さんや父さんと暮らしていた家から聖也の家へ引っ越すときに全ての荷物を整理したからどこに何があるのかは大体分かっている。
もう三人で暮らしていたあの家はない。
他の人の手に渡ってしまっている。
そう考えたときによぎった孤独感を振り払って手を進めると、本の間から何かが音を立てて落ちた。

それは小さい鍵だった。

どう見ても家の鍵ではないしこんな鍵をもらった記憶も使った記憶もない。
とりあえず机の上に置いて作業を進めようとした時だった。
ふと日記の存在を思い出したのは。
日記といっても俺のではない。
昔母さん達の荷物を片付けていた時見つけた物だ。
その日記は小さい鍵がついていて中を見る事は出来なかった。

もしかしてあの…?

どうしてもその日記を捨てる事は出来なくて、俺は確か引き出しの奥底に仕舞っていたはずだ。
とりあえず作業を中断してそれを探した。
そして見つけたその日記と鍵はぴったり一致して、中を開く事が出来た。

書いてあったのは、想像もしていなかった真実。



 今日、私は家を飛び出した。
 どうしても私と彼の結婚を認めてくれないお父さんとひどい口論になって、そのまま家を出てきた。
 このままじゃ彼と力づくでも離されてしまうかもしれない。
 そう彼に話すと、彼は真剣な顔で一緒に来てくれるか、と言ってくれた。
 迷わず頷いた。

 優しかったお母さんには申し訳ないと思うけど、私は彼と一緒にいたい。




そんな文章で始まった事に驚いた。
この日記は母さんと父さんが駆け落ちをした時から書き始めたものなのか?
それから2人の生活が綴られていくのかと思いぱらりとページをめくると自殺という文字が目に入ってきて思わず日記を落としそうになってしまった。



 彼と死のうと決めた。
 自殺が一番親不孝だというのは分かっているけど、このまま2人で逃げ続けていても疲れてしまうだけかもしれない。
 
 2人でそう決めたけれど、なかなか決心がつかない。




自殺…。
2人はそうまでしても一緒にいたかったんだろうか。



 家を飛び出して半年とちょっと。
 ようやく決心がついた。
 誰にも見つからない場所で、2人でひっそりと死のうと決めた。
 
 でも、その途中で声が聞こえた。
 小さいけれど、それは確かに赤ん坊。
 とても気になって2人で探した。
 
 そして見つけたのが海斗。
 小さい体を縮めながらも一生懸命泣き続けているその命に、私たちは助けられた。

 手を差し伸べた私に必死にしがみついてくる小さなその命を、2人で幸せにすると誓った。

 何があっても、この子を守ろう…と。



 今日できっと、この日記を書く事もないと思う。

 死ぬまで開く事がないと信じて。





その後、俺はどうしたのかよく覚えていない。
ただしばらくの間、抜け殻のように過ごしていた記憶はある。
信じていたものが足元から崩れていく感じ。
それを感じたのはこれが最初だった。

心配そうなおばさん達の顔や、何かを聞きたそうな聖也の様子。
ところどころ覚えてはいる。
ずっと聖也が傍にいてくれたことも。

暗い気持ちを抱えて過ごしていたある日、突然それが軽くなった。
何かが切っ掛けになった事は覚えてる。
誰かと何かを話したことも。


今日、思い出したのは…その時話していたのが徹だったということだ。






◇◇◇◇◇◇






いてもたってもいられなくて、俺は徹の部屋のドアをノックしていた。
いくら日曜日でも13時には起きているだろう。

「はい…って、海斗?」

2回のノックですぐに出てきた徹はちょっと驚いたみたいだけど、俺の顔を見て中に入れて くれた。
ポスンとソファーに座ってしばらく部屋の中を眺めていた。
そんな俺に冷たい麦茶を渡して徹も隣に座った。

…随分身長が伸びたんだな…。
あの時は確か俺よりちょっと小さいくらいだったのに。

「海斗?」

徹はじっと眺めている俺に居心地が悪そうに身じろぎをしていた。

「なぁ、徹。どうして高校で初めて会った時に何も言ってくれなかったんだ?」
「え?」

高校で徹と初めて言葉を交わしたのは見学に行った野球部でだ。
同じクラスの奴だろー?と声をかけられて、徹がクラスメイトだと知った。
その時はお互い初めましてと言ったんだ。

「………海斗?」

ここまで驚愕している徹を見るのは初めてだ。

「…どうして昔、会ったことがあるって言ってくれなかったんだ?」

確かに忘れていた俺が悪いけれど。
それでも何故徹は全くの初対面のように接してきたんだろう。

「思い出したんだよ、徹。俺たち、中学の時、夜の公園で会ってるよな?」
「……。」

あの時徹は家出中と言っていた。
自分のせいで家族が壊れて、もう居場所がないと思っていて。
それでもどこかで戻れると信じていた。
昔のように戻りたいと、諦めきれないと言っていた。

その徹の話を聞いていて、俺は思ったんだ。

俺を拾ってくれた父さんと母さんは俺を本当の息子のようにずっと育ててくれていた。
それだけは疑ってはいけない。
そして俺が親だと思うのは確かに父さんと母さんだけで、それがたとえ生みの親ではなか ったとしても変わらない。

一番大切なのは、自分がどう思っているかということだけだ。

あの時の徹も多少荒れてはいたけれど、自分の心にだけは嘘をついていなかった。
どんなに傷つけられても、責められても、家族が好きだというその心だけは疑っていなか った。

あぁそうか、と思った。

2人が本当の両親ではないと知って確かにショックを受けたけれど、それでも自分が2人を 親だと思うなら、それが真実なんだ。

俺にそう思わせてくれたのは、徹なんだ。

「…徹、ありがとう。」
「…?」
「俺はあの時、何も信じられなくてただただ毎日を過ごしていたんだ。そんな俺を助けて くれたのは徹だった。だから…ありがとう。」

俺がそう言って笑うと、目を見開いた徹も口を開いた。

「…その台詞は、俺から言おうと思ってたんだけどな…。」
「遅いっての。」
「はは…確かにな…。」

この時俺は、もう1つ大切な事を忘れていることに気付いていなかった。



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