番外.1 想い ――過去―― 徹サイド
俺の家族はとても仲が良かった。
母、父、兄、俺の4人家族で、特に問題もなく幸せだったと思う。
それがいつからか形を変え始めた。
いや、原因は分かっている。
――俺だ。
俺は中学に入ってすぐに傷害事件を起こした。
でもこれは立派な正当防衛だ。
仲良くしていた友達が怪しげな路地裏に連れ込まれ、暴行を受けそうになった。
どんな暴行かなんて思い出したくもない。
とにかくその一部始終を偶然目にしてしまった俺は、友達が逃げられるようにそいつらを殴りにかかった。
それが警察に見つかったのがまずかった。
どう考えても俺が全員ボコボコに熨していたから。
まぁ、ちょっとやりすぎたと思わなくもなかったが。
言い訳しようにも、友達の名前を出すわけにもいかない。
あんな事されそうだったなんて、言えるはずもない。
だから俺は1人で背負うことにしたんだ。
でも、それは俺の家族にまで影響を及ぼした。
傷害事件を起こした息子がいるというだけで、会社での父の立場は悪くなり、近所での母の評判もがた落ちした。唯一、兄だけはなぜか学校で友達から称賛を浴びたらしいが。
とにかく両親の仲が悪くなったのはそれからだ。
お前の育て方が悪かったのだとか、いつも家にいないくせに偉そうな事を言うなとか、とにかく毎日毎日ケンカしていた。
俺とは話さない、目もあわせない。
おまけに俺は学校で要注意人物扱いされ、例の友達を始め、皆離れていった。
兄だけが救いだった。
だが、その兄も次第に家では無口になっていった。
もうだめだ、と思った。
俺のせいで、家族が壊れたんだ、と。
そして気付けば夜の街にいた。
しばらく家に帰らず、親切な夜の住人の家を転々としていた。
別に怪しいことをしていたわけではない。
ホントにただ夜の街をうろうろしていただけだ。
俺には何かをする勇気が、もうなかったから。
そんな時だった。
あいつに出会ったのは。
たまたま通った公園のベンチに座っていたそいつは表情がなかった。
人形みたいだった。
なぜかとても気になって、自然とベンチに向かっていた。
そいつは俺に気付いても、ただ視線を向けるだけで何も言わない。
それどころか興味がなさそうに逸らしてしまう。
でも、悪い気分にはならなかったから、ストン、と隣に座った。
見たところ、同い年っぽい感じか。
身長は俺と同じくらいかちょっと高いくらいかな…。
でも座った状態で、しかも夜だから詳しくは分からない。
「あ、俺さ、カオルって言うんだけど…あんたは?」
言ってから気付いた。
“徹”ではなく、学校で呼ばれていた“カオル”で名乗ってしまったことに。
神林徹を略しに略して“カオル”と呼ばれている事が多かったせいで、本当の名前を忘れてしまっていた。
でも、こいつとはもう二度と会わないような気がしたからこのままでいいか、とあえて言い直しはしなかった。
「俺は…なんだろうな…。」
俺の質問に数秒の時間をかけて、そいつは答えた。
というか答えになっていない。
「名前…覚えてないの?」
「…いや…。」
なんとなく訳ありっぽい。
そう解釈した俺は深く突っ込むのをやめた。
のちのち面倒な事になりかねない。それはもうごめんだった。
「まぁいーや。それより今暇?ちょっと話に付き合ってよ。」
見ず知らずのこいつに何を話す気だ、とも思った。
けど今、自分の中に溜まりに溜まっているこの気持ちを誰かに聞いて欲しかった。
そして、こいつなら大丈夫だと、何故かそう思った。
「……。」
名を名乗らなかったそいつはただただ頷いた。
俺はすべてを話した。
今までの家族を。
自分のせいで変わってしまった家族を。
そして、離れていく友達の事を。
それでも、幸せだったあの頃を諦め切れていない事を。
そいつは何も言わなかったけど、全部聞いてくれた。
俺も、なにかを言って欲しいわけじゃなかったから、それで充分だった。
ただ聞いてくれただけで、それだけで気持ちが軽くなった。
でも、話し終えて暫く沈黙が続いた後、おもむろにそいつは言った。
たった、一言。
「それでも…親は、親だもんな。」
その時のそいつの顔が忘れられない。
あんなに表情がなかったのに。人形だとすら思ったのに。
今の俺の長い話の中に何かを見出したのか、そいつは微笑んでいたんだ。
目を、奪われた。
初めて男の笑顔を、綺麗だと思った。
そして俺は、たったその一言で心が晴れた。
初めて自分の心を認めてくれたからだと気付いたのは、家に帰って両親に会ってからだ。
母はとても心配していた。
父にはとても怒られた。
兄はただ笑って“おかえり”と言ってくれた。
あぁ、まだ、この“家族”は生きている。
あの日、出会ったあいつが忘れられない。
でももう二度と会う事はないだろうと思っていたから、高校で再び会えた時には驚いた。
本名は名乗らなかったし、あの時に比べると身長もバカみたいに伸びたから、相手は俺の事に全く気付かなかった。
いや、覚えているかどうかも怪しい。
それでもいいと思った。
だって、笑っていたから。
あの時よりも、ずっと綺麗に笑っていたから。
たとえ俺のものにならなくても、その笑顔でいてくれるなら、とても、嬉しい。
そう思ったんだ。
あの日、あいつは最後に言った。
俺が「ありがとう。」と言った後、少し不思議そうな顔をしながら。
「俺、カイトって言うんだ。鈴森海斗。また会えるといいね。」