2章



Act.19


「俺がずっと黙ってたのは、海斗が何も覚えていなかったからだよ。」
「え?」

ふいに言ったその言葉が何に対する答えなのかがすぐには分からなかった。
でもさっきの俺の質問の答えなんだと理解して、申し訳ない気持ちになった。

「…ごめん…。」
「ん?いや、俺はそれでもいいと思ってたんだ。あの時に比べたら俺も海斗も大分変わってたからな。」
「でも…徹はずっと覚えてたんだろ?」
「そりゃなぁ…。ずっとお礼を言いたかったし……それに…。」

いつの間にか俺は下を向いていたから、今徹がどんな顔をしているのか分からない。
でもその声はとても柔らかくて…。

ふと視界に徹の手が見えた。
そして、あっ、と思ったときには徹に抱きしめられていた。

「……と、徹?」
「海斗、1つ忘れてない?」
「え?」

まだ何か忘れてることがあるんだろうか?
徹の腕の中で考えてみるけど何故か上手く頭が働かない。

「俺はずっと海斗を探してたんだ。あの日からずっと…。」




『…俺はさ、中学の時、一度しか会ったことのない奴にずっと惹かれていたんだ。』




いつかの徹の言葉が頭をよぎった。




『俺は、話を聞いてくれたあいつに、一言お礼を言いたかった。でも、どれだけ探しても会えなくて。それでも彼を忘れる日はなかった。そしてある時気付いた。あぁ、俺は、あいつが好きなんだって。』




え…じゃあ、徹の好きな人って…もしかして…。

その結論に至った瞬間、顔にぼっと熱が集まった。

「っくくく…。」

そんな俺の反応にいつものように徹は笑うけど、俺はそんな余裕はなかった。
だって、じゃあ徹はずっと俺の事が好きで…。
そう考えると昨日の…あのキスにも納得がいって。
でもそんな徹に俺はずっと聖也の事を相談してたわけで…。

そんな事をぐるぐる考えていたら、急に腕の力が強くなった。

「あ〜…やばい…。」

そしてそんな事を呟くから更に俺はパニックになって。
や、やばいって何が??

「……お前可愛すぎ。」
「か、かわ…!?」
「……ごめん、海斗。」

そう言うや否や俺はソファーの背もたれに体を押し付けられた。

「え、何…と…っ!?」

徹、と言おうといて開いた口に、唇が重なった。
昨日のような軽いものではなく、いきなり深い、頭が真っ白になるような荒々しいキス。
徹の腕を掴んでいた手をとられ、両手ともソファーに縫い付けられる。
上手く息継ぎができなくて喘ぐような声が漏れた。

「…んん!っ…。」

なんとか言葉を出そうとするけど、掠れた声しか出ない。
徹の舌が俺の舌を絡めとる。

「っふ…。」

鼻から息が漏れる。
俺はいつの間にか目をぎゅっと閉じていて何も見えなかった。
段々力が抜けていってぐったりとソファーに沈み込んでも徹は離れない。
そうなってしまったらもう何も考えられなくて…。

どれくらい時間が経ったのか分からない。
もしかしたらたった十数秒の事かもしれないし、数分経っていたのかもしれない。
ようやく開放されたときには息が完全に上がっていた。

飲み込みきれなかった唾液をぺろりと舐め取る徹を止めようとする思考も働かなかった。
ただその光景をぼーと見ていることしか出来なくて。

「……あ〜…海斗?お前、無防備にも程があるぞ?」

そんな俺をしばらく見ていた徹は少し軽い口調で、でも真剣な顔でそう言った。
まだ両手は押さえつけられているし徹の顔はすぐ前にある。
それは目に映っているのに、頭では理解できていなかった。

「今、自分がどんな顔してるか自覚してないんだろうな…。」

顔?
自覚?

「な…に?」
「うわっ何その色っぽい声!」

色っぽい…?

「……耳がわるくなったんじゃ…。」
「………海斗はもっと自分というものを正確に把握しといたほうがいいと思うぞ。」

ようやく働き始めた頭で聞いてもその台詞は理解できないんですけど。

「てか他に何か言う事ないのか海斗?」
「え?」

言う事って?

「…俺はこれでもかなりの覚悟で行動を起こしたんだけどな…。もっと何か言われたり責められたりするかと思ってたぞ。」
「そんなん…。」

言いかけて、でも続きを言う事が出来なかった。

徹は俺の事が好きで、俺は聖也の事が好きで。
それでも今俺は徹にキスされて…何故か、嫌ではなかった。

だから、責めるとかそんなことは思いつきもしなかったんだ。

「……。」
「そんな困った顔するなって。別に答えを聞きたいわけじゃない。ただ……。」

今度は首筋に柔らかい感触。
そして止める暇なくチリッと痛みが走った。

「いっ…。」
「……痕がつきやすいんだな…。」

湿った感触と徹のその呟きに、ようやく俺の体が動いた。

「っ、徹…!」
「ぅおっと、やっと抵抗始めたか。そのまま大人しくしてたら俺きっと止まらなかったぞ。」

掴まれていた手を振りほどこうと力を入れると、拍子抜けするほどあっけなく開放された。
苦笑している徹の言葉と共に。

「……。」
「だからそんな顔するなって。俺はお前が笑っていてくれるなら、それでいいんだ。」

笑っていてくれれば…それで…。
前にもそう言っていた。
たとえ自分のものにはならなくても、相手が幸せならそれでいいって。

「……どうして…。」

ただ純粋にそこまで相手を想える?
好きな人の幸せだけを願う事なんて、本当は難しいと思うのに。

「…だって俺は、海斗の笑った顔に惹かれたんだから。」

そう言って笑う徹のほうがずっと綺麗な笑顔をしてると俺は思う。






◇◇◇◇◇◇






俺の気持ちを知っていてもらうだけで今は充分だから、という徹の言葉に結局俺は甘えてしまった。

その後は何もなかったかのようにただ話をして、何故か自然にお酒が出てきて…自分の部屋に戻ったのは夜の7時だった。

聖也に散々言われているから部屋の鍵はしっかり閉めたはずなのに、ドアを開けた瞬間俺のベッドのうえに聖也が座っているのが見えた。

「……あれ?俺部屋間違えた?」

部屋を出て確認したけど、やっぱり203号室だ。

「どっから入ってきたんだよ?」
「窓。開いてたぜ。」

ああ。窓の方は忘れてた。

「って、不法侵入だろこれ。」
「…何だよ今更。俺たちの仲だろ。」

聖也の言う『俺たちの仲』と俺のとは違いがあるだろうけど…。

聖也はベッドの上で手と足をゆったり組んだまま俺の顔をじっと見ていた。
部屋は暗かったから、カーテンから漏れる月明かりでそれがかろうじて分かる程度だ。
それでも相手が聖也だと分かった俺はある意味すごいかもしれない。

無言で俺の顔を見ている聖也のその目が何故か怖くて俺は電気をつけようと腕を上げた。

「電気くらいつけろよ。」

聖也が動いたのはその時になってからだ。