7. 絵 1
あの夜桜は、真吾君がふとこちらを振り返ったときに頭に浮かんできた風景。
とても綺麗で、透明感があって、人を惹き付けるのに。
それなのに、どこか寂しい。
それが、僕の真吾君に対するイメージなんだと思う。
そういえば、真吾君のおばさんも言っていた。
真吾君は女の子には人気だけど男の子からはひがまれて友達いないんじゃないかと思ってたって。
実際はそんなことないんだけど、真吾君が醸し出す雰囲気はどこか寂しさがあるから。
…そうか。
だから、真吾君は人を惹きつけるのかもしれない。
僕だって、先輩の好きな人が真吾君だと知っても、やっぱり変わらず彼のことが好き。
真吾君の事を嫌いになんてなれるはずもない。
じゃあ…僕がすべき事は?
僕は、何をすればいいんだろう?
◇◇◇◇◇◇
「忍。」
名前を呼ばれてふっと顔を上げた。
誰も居なかった僕の前には、いつの間にか真吾君が立っていて。
何だか複雑な顔をしている。
「真吾君?どうしたの…?」
「…どうしたって…。もう昼休みだけど…。」
そう言ってビニール袋を見せる真吾君を、僕は暫くぼんやりと見つめて。
そうしてやっと自分の記憶がすっぽ抜けてる事に気付いた。
「………昼休み?」
「そう。」
「あれ?僕、授業受けた記憶が…。」
「授業?ちゃんとノートとってるじゃないか。」
言われて手元を見てみると確かに僕の字で、ノートに見たことの無い数式が羅列されている。
「あ、れ?」
「寝ぼけてんのか?寝不足?」
確かに最近寝つきはあまりよくない。
でも一回寝てしまえばそのまま朝まで起きないから別に睡眠不足とかそう言うわけではない。
ただ、よく考え事をしてしまうだけ。
それは部活中でもそうで。
先輩にもダイブ心配させてしまった。
「…おーい、忍?本当に大丈夫か?今日も行くんだけど…やめとく?」
「え?あ、ううん。行く。行く行く!」
真吾君があまりにも心配そうにそう聞いてくるから慌ててそう返事をすると、ほっとしたように笑顔を見せてくれた。
「…忍くん、何か元気ないわねぇ?」
「え?」
「悩み事?」
腕に名前の無い猫を抱いたままぼーとしていた僕に話しかけてきたのは真吾君のおばさん。
そこにいたはずの真吾君はいつの間にかいなくなっていた。
「あ、いえ…。」
「でも、眉間に皺。」
「え?え?」
「う、そ。」
そう言って僕の頭をくしゃくしゃなでるおばさんからは、僕なんて本当に子供に見えているんだろうな…。
「なんかねぇ、真吾君が心配しているから何かあったのかしら?と思って。」
「…ごめんなさい。」
「あら、謝らなくちゃいけないようなことしたの?」
「いえ…。でも心配をかけてしまったのは事実ですから…。」
これは僕の問題で、誰のせいでもないことで。
ただ僕の心の整理が出来ないだけだから。
必要以上に周りの人達に心配をかけるような事は、いけない。
「それは謝る事じゃないわよ?」
「でも…。」
「ん〜。誰かを心配する事が出来るっていうのは…とても素晴らしい事なのよ?」
「……素晴らしい?」
「そう。」
腕の中の猫が、にゃ〜と鳴いた。
僕の顔を見て。
……まるで、僕の事を心配しているように。
「真吾君は今までそういう友達が居なかったから。」
「いない…?」
「そう。あの子も色々複雑でね。なかなか他人に自分を見せようとしない子なの。それがたとえ身内でも。」
もぞもぞと腕の中で動いていた猫は、落ち着く場所を確保したのかそのまま目を閉じて大人しくなった。
「だから、忍君を心配そうに見ているあの子を見て驚いたのと同時に、とても嬉しかった。」
「……。」
「むしろ忍君にお礼を言いたいくらいだわ。」
「そんな…僕は何もしていません。」
ただ自分の事しか考えられていない、どうしようもない僕にお礼なんて…。
「ふふ。そういう謙虚な所が忍君の長所でもあり短所でもあるわね。」
「謙虚なんて…本当の事を言っただけです…。」
「たまには自分にもっとわがままになってもいいと思うわよ。」
わがまま…?
「忍君より、少しだけ長く生きてる私からのアドバイスよ。自分に正直に、後悔しないように…思い切った行動をする事も時には大切な事だから。」
後悔しないように…。
今の僕にとって、後悔する事って何だろう?
この前から、僕が悩んでいる…考えていることって、何だろう?
「それとね、心配くらいはさせてね。」
「え?」
「誰かに心配をかけちゃいけないって思うのもいい事だけど、誰かを心配するっていうのは人間の特典なの。」
「特典…?」
「そう。それを言葉で伝えられるっていうのは、人間だけよ。」
そう言って微笑むと、おばさんは僕の腕の中で眠ってしまった猫に手を伸ばした。
「よほど忍君の傍は安心するのね〜。触っても怒られないなんて初めてよ。」
確かに微動だにせずに大人しくしている。
動物に好かれるっていうのは、無条件で嬉しいものなんだ…。
「忍。もうすぐ授業始まる。」
どこにいたのか突然真吾君はそう言うと、ひょいと僕の腕から猫を取り上げた。
猫は抗議の声をあげるかのように一鳴きすると、地面に降りて餌を食べ始めた。
なんか、何してても可愛く見えるのは何でだろう?
「……。」
「2人とも、今度は昼休みじゃなくてちゃんと時間がある時に寄って頂戴。なんだかいつもバタバタしててちっともゆっくり出来ないじゃない。」
「あ、はい。そうですね…。今度はお休みの日にでも…。」
「…そうだな。」
確かに今までここに来るのは昼休みの間の僅かな時間だけだ。
僕たちの返事に嬉しそうに笑うおばさんに手を振って、僕と真吾君は学校に向かって歩き始めた。
「で、少しはすっきりした?」
「え?」
信号待ちをしている時、ふいに真吾君がそう聞いてきた。
すっきりって何の事だろう?
「ここんとこ暫く、元気なさそうに色々考え込んでたみたいだから。」
ああ…。
それを聞いて、僕は思った。
もしかしたら、今日真吾君が途中いなくなったのはおばさんに話をしてもらうためだったのかもしれないって。
それで、僕がずっと考えてる事が少しは解消されるかもしれないと思ったんだろうって。
「うん…。ありがとう、真吾君。」
やっぱり、真吾君は優しい。
それに、心配されるって、結構嬉しいものなんだね。
「…ありがとう。」
もう一度、あの絵を描き始めよう。
僕はその時、そう思った。