5. 笑顔 3





「前にさ、忍が俺の絵を見てすごい褒めてくれただろ?あの時からこいつはどんな絵を描くんだろうなーって色々想像してたんだけど、どれもハズレた。」

僕の絵を見ている先輩は何故か興奮している様だった。
一見普通の絵に見えると思うんだけどな…。

「何かさ、忍の描く絵は人を惹きこむな。」

うんうんと1人納得しながら先輩は嬉しそうにこっちを向いた。
思わず顔に血が上った。
だってだって、そんな満面の笑みをこんな間近で見ちゃったら…!

「あれ?照れてるー!?かわいーなーお前は!」

ぐりぐり頭をかき乱す先輩が上手い具合に勘違いしてくれて助かりました!
あぁ…でも今度はその手にどきどきしてきた…!

「…何かさ、忍の絵を見てると心が癒されるよ。」

そう言って先輩は静かに…綺麗に微笑んだ。
思わず見惚れてしまう微笑で。

「あ、りがとうございます…。なんか、今までそんな事言われた事ないので…う、れしいです。」

だって、僕には絵しかないから。
自分を守れる…、自分を表現できるものが、絵だから。
先輩は笑顔のまま僕の絵に視線を戻した。
そして何かを見定めるように視線を固定したまま先を促した。

…先輩が見守っている中で描けって事…デスカ?

「あの…先輩?」
「ん、何?」

いえ、そんな怪しげな笑みを浮かべたまま疑問を返されても…。

「あの…えっと。」
「あぁ。俺のことは気にしないでいいから続けて続けて。」

無理です!
なんか心の中を見られているようで集中できません!

「…き、緊張するんですけど…。」
「えぇ?いつも俺が見てるの気づいてないくせに?」

あぁ。
確かにそれを言われちゃ返す言葉もないんですが…。

「一回集中しちゃえば…周りは見えなくなるので大丈夫なんですけど…。」

小さい頃は特に人見知りはする、人前で上手く話せない、赤面症。
さすがに成長するにつれてダイブ克服はできてきてるけど、それでもやっぱり人並み以上に人前で何かをするのは駄目なまま。
つまりは、誰かに見られている、という事に過剰に反応してしまう。
おまけに何をするのもとろかった小学生の時にはいじめとまではいかなかったけど、周りから遠巻きに笑われたりする事が多かった。
多分そのせいもあって余計人ごみとかが苦手になったんだと思う。
でも中学に入って、仲良くなった友達に勧められて入った美術部でやっと見つけられた気がした。

自分を。

「じゃ、忍が集中した頃にまた見に来る。」

先輩はそんな俺を笑うでもなく面倒臭がるでもなく、いつものように微笑んで離れていった。
きっとこんなところがすごく好きなんだな、と思う。

「…よし、頑張ろう。」

先輩が幽霊部員と言い切った他の部員は、言葉通りに1回も来た事がない。
部活は先輩と僕の2人だけの空間で、僕はこの空間がとても心地よい。


新たな色を加えて、命を吹き込んでいく。
この絵は、さっきふと頭に浮かんできた風景だ。


夜桜。
仄かなライト。
優しい風に吹かれて舞う花びら。

とても静かで透明感があるけれど、どこか寂しさを感じる風景。

そう。
寂しさを感じたんだ。






◇◇◇◇◇◇






「…だと思うんだよね…。」
「……。」

誰かの声が聞こえて、ふっと意識が現実に浮き上がってきた。
あれからどのくらい時間が経ったんだろう?
目の前の絵はかなり色がつき始めている。
そこまで確かめて、僕は慌てて外を見た。

……真っ暗だ。

「うわぁ!またやっちゃった…。すいません先輩!もう下校…。」

言いながら振り返った先にいたのは、先輩だけではなかった。

「やま…じゃなくて真吾君!」

そうだった。
部活終わったらここに来てもらうように頼んだんだった…!
もう随分長い間待っててくれてたんじゃ…。

「ご、ごめん。遅くまで待ってもらっちゃって…。」
「…別に…。」

心なしか不機嫌そうにそう返されて、心の底から落ち込んだ。
やっぱり先に帰ってもらってればよかったかな…。
それが顔に表れたんだろうか。
真吾君は慌てたように手を振った。

「や、ほんと大丈夫だから。俺が待ってるって言ったんだし。」

ふと時計を見たら7時を回っていた。

「えぇ!?7時ぃ??見回りの先生は!?」
「あぁ…。俺がちゃんと鍵閉めますって言ったらあっさり頼んでいったけど。」

そう言って真吾君がちらつかせるのは美術室の鍵で。
先生…。

「先輩もすみません。またこんな時間まで…。」
「…また?」

真吾君の隣で僕たちの会話を興味深げに聞いていた先輩に向き直って言ったら、なぜか真吾君がその話題にくいついてきた。

「あ、僕…よく今日みたいに描く事に夢中になると下校時間を過ぎちゃう事が多くて…。その度に先輩も帰りが遅くなっちゃうから…。」
「いいんだって、忍。俺は居たくて居るんだから。」
「でも…。」

嬉しいけど、それ以上に申し訳ない気持ちが勝ってしまう。
僕は描くことが好きで、だから全然時間が過ぎてる事にも気付かないんだけど、待ってるだけの先輩にとっては長い時間なんじゃないのかな…。

「……忍、この絵…。」
「え?」

触るか触らないかの際どい位置まで僕の描きかけの絵に手を伸ばすと、真吾君は真剣な顔で聞いてきた。

「この絵、何かをイメージして描いたの?」
「…イメージ?」
「あ、さっきね、俺がこの絵を見て色々言っちゃったから。」

先輩がそう付け加えてくれたけど、よく意味が分からない。
だって、イメージも何も…。

「色々…ですか?」
「そう。…忍はなんでこの絵を描こうと思ったの?」

笑顔でそう聞く先輩はとても楽しそうで、何となくその笑顔を崩させたくなくて…。
僕は正直に話していた。

「今日、ふと頭に浮かんできたんです。」
「突然?」
「はい。」

僕はこの時、2人が僕の絵を見ながら会話していた内容を知らない。
もし知っていたらこんな風に答える事は出来なかっただろう。

「これは、誰かを思い浮かべながら描いたものじゃないの?」

先輩のその言葉はその通りで。

「え、どうして分かったんですか?」

思わず言った僕のその言葉に、真吾君の表情が変わったことに気付かなかった。