4. 笑顔 2





山口真吾君は、実は学校では有名人だった。
そりゃ顔よし頭よし運動神経よしじゃ皆ほっとかないのも当然だ。
ちなみに今の2年生、3年生が1年生の時首席入学した人達も相当有名らしい。


1人は3年の日向拓先輩。
彼は山口君の部活の先輩でもある。
顔よし、頭よし、運動神経よし、性格よしの4拍子らしい。
ただ聞くところによると猫をかぶってるとかかぶってないとか…。
どうなんだろう…。


もう1人は2年の上原聖也先輩。
その年ぶっちぎりの首席入学を果たしたにも関わらず特進には行かず、運動神経もいいのに何の部活にも入らず、常に隣には幼馴染がいるとか。
上原先輩の素顔はその幼馴染の先輩の傍でしか見られないらしい。


周りの人の声を聞いてると結構そんな噂が耳に入ってくる。
だから僕が山口君を知らなかった事にあんなに驚いていたんだろう。

ちなみに山口君は顔よし頭よし運動神経よしだけど誰に対しても心を開かず無愛想、という噂が立っている。

でも山口君は無愛想なんかじゃなかった。
あの一件以来、彼はよく僕に笑いかけたりスキンシップをしてきたりする。



たとえそれが外でも学校でも。

でも皆はそんな山口君を知らないから彼がそうする度に驚いたように振り返る。

僕は、それが不思議だ。






「忍!」

そして今日も僕は教室で彼の“スキンシップ”を受けていた。

「わっ!びっくりしたぁ〜。いきなり抱きついてこないでよー。」
「や〜悪い悪い。その反応が可愛くて。」

僕相手に抱きついたり可愛いとか言っても何のメリットもないと思うんだけど…。
椅子に座っている僕の背中から抱きついてきた山口君はそのまま顎を僕の頭の上に乗せた。

「あ〜なんかここ落ち着く〜。」

なんかペットにでもなった気分だよ…。
山口君が何かを話す度、頭の上がむずむずする。
人間に頬ずりされる犬っていつもこんな感じなのかなぁ。

「や、山口君…。なんかくすぐったい…。」

そう訴えると、山口君は何を思ったのか顎を僕の頭から離して、逆に僕の顎をつかんで上を向かせた。

「!?」

う、うわ…!
逆さまの山口君の美顔がドアップに…!

「な、何…!?」
「名前。」

不機嫌そうにそれだけをポツリと言ったまま、彼は僕を離そうとしない。
一応顎を掴んでる腕を叩いてみるけど、効果は全くなかった。

ていうか名前…?

「名前って…?」
「…俺の名前。」

山口君は時々こういう風に単語単語でしか話さないときがある。
そういえば初めて2人であのカフェに行ったときも、始めはこんな感じだったな…。

…うん。
お願いだから、文章にして話してください…!

「え…と、山口君?」
「下。」
「え。」

それって、下の名前って事だよ…ね?

「真吾…君?」
「君はいらない。」
「え?え?」

それはつまり、僕に山口君を呼び捨てで呼べって事…??

「む、無理、無理!」

本当は首を振りたかったけど、顎を掴まれてて動かなかったから慌ててそう言うとますます不機嫌そうになってしまった。

「い、今まで誰かを呼び捨てた事ないから何か緊張する…。」

とりあえず弁解すると、はぁーと息を吐き出して(ため息?)、とりあえず顎は開放してくれた。

「じゃあ“君”付けでもいいから下の名前で呼んで。」

…“山口君”で慣れちゃったからそれも恥ずかしいんだけど…。
でも、そう言ってくれた事が嬉しくて。

「……真吾君?」

小さい声でそう言うと、綺麗な笑顔になった。
うん、やっぱり“真吾君”は笑顔が綺麗だ。


そんな事を考えていた僕は、教室にいた人達が驚愕の表情でこっちを見ている事なんか全く気付かなかった。


「ところで今日はどうしたの…?」

違うクラスの彼がわざわざ僕のクラスまで来るなんて何か用事があったとしか思えない。

「あ、そうそう。今日部活終わったら一緒に帰ろう。」

僕の顎を解放した後、再び後ろから抱きついていた彼はそのままの体制でそう言った。
耳元で言われると意味もなくどきどきするよ…!

「え、でも僕何時に終わるか分からないよ?」

前なんか描くことに夢中になりすぎて、下校時間をとうに過ぎてるのに見回りの先生に声を掛けられるまで全く気付かなかったくらいだ。
でもあの時は佐川先輩もいたのにじっと僕の絵を見ていただけで何も言ってくれなかったのも原因だ。

先輩まで帰るのが遅くなってしまった。

「ん〜?いいよ。俺待ってるから。」
「え?でも悪いし…。」
「俺が待つって言ってんだから悪い事はないって。」
「う〜ん。」

どうしてそこまでして僕と一緒に帰ろうとしてくれるんだろう…?
こんなに綺麗で格好いいんだから、彼女の1人もいると思うんだけどなぁ。
でもそんなこと言えないし…。

そもそも待っていてくれるというその言葉に喜んでいる自分がいる。

そんな事を考えながらじっと真吾君を見ていると、何故か慌てたように僕の背中からぱっと離れた。
なんか急に背中が涼しく…。

「じゃーな。終わったら教室で待ってるから!」

心なしか耳が赤いような気がするんだけど…。
どうしたんだろう。
暑かったのかな?

そのまま自分の教室に戻ろうと歩き出した真吾君を、僕は半ば無意識に引きとめた。

「あ、し…真吾君。」
「…ん?」

くるりと振り返った真吾君を見て、ふっと頭の中に絵が浮かんだ。
それは何故か物悲しさを感じさせる物で…。
次の言葉は自然に出てきた。

「僕、本当にいつ終わるか分からないから…。」
「うん。だからここで待ってるよ。」
「そ、そうじゃなくて…。美術室で…。」

そう頼む事ももしかして図々しいかな…?
途中で段々小さくなっていく言葉を、それでも真吾君はしっかりと聞き取ってくれていた。

「分かった。じゃあそのまま美術室に寄るよ。」

笑顔でそう言ってくれた事に僕はホッと息をついた。






◇◇◇◇◇◇






絵を描くのは好き。
その時だけはこの現実世界から、自分が作り出した世界へ行く事ができる。
自由で、平和で、自分ひとりだけの世界。
実際にそんな世界があったらとても恐怖を感じるのだろうけど、“架空”だと分かっているその世界は僕にとってのオアシスだ。

だから、そんな僕の絵を見て今日先輩が言ってくれた一言は、とても嬉しかった。

「…俺、忍の絵、好きだなぁ。」
「え?」

つい自分の世界に入り込んで絵を描いていた僕の後ろから先輩は覗き込みながらそう呟いた。
そしてその言葉に現実へ引き戻された僕は声の主である先輩を振り返る。

先輩は、僕の描きかけの絵をじっと見ていた。