2. 真吾との出会い
山口真吾(やまぐちしんご)君。
彼と僕は友達でもクラスメイトでも顔見知りでも何でもない。
ぶっちゃけ彼は僕のことを知らないだろう。
彼はいつも1人でいる。
周りの人間を拒絶するかのように誰の声にも反応せず、笑顔を見た人を探すのが不可能と言われているぐらい、無愛想な人らしい。
僕が山口君を初めて見たのは入学してから3日目。
忘れ物を取りに寮へ戻る途中、明らかにサボりますっていう堂々とした態度で学校を正門から出て行く姿だった。
いや、僕だって今まさに正門から出ようとしてるんだからもしかしたら彼もそうなのかもしれない。
現に持っているのはビニール袋だけで、鞄とかではない。
ただ、その袋から透けて見えるのがキャットフードっていうのはどういうことだろう?
思わず後をつけてしまったのは、僕にしては珍しい事だ。
どうしてだか分からない。
しかもこのときの僕は、山口君の事を何一つ――顔も名前も――知らなかったし、基本人見知りするから自ら進んで誰かに関わろうとなんてめったにしない。
なのに足が自然に後を追っていた。
正門を出て、横断歩道を渡って、何分くらい歩いただろう。
山口君はまっすぐ前を向いてひたすら歩いていく。
だんだん人通りが少なくなってきて、最終的にたどり着いたところは知る人ぞ知るって感じの飲食店…というよりカフェだった。
でも彼の目的はその店ではなくて、店の前にいる猫だったらしい。
空になっている餌箱に持っていたキャットフードをザーと入れると、そのまま食べ始めた猫をしばらく眺めていた。
少し、口元に笑みを浮かべながら。
学校抜け出してまで餌をあげに来るほどその猫の事が好きなんだろうか。
でも何故か彼は眺めているだけで、触ろうとしない。
その顔は優しそうに猫を見つめているのに、それ以上踏み込まないようにしているみたいだ。
なんとなく気になってそのまましばらく山口君を眺めていたら、カフェのドアが開いた。
「あら、真吾君。今日も来てくれたのね。」
カランカランと音を立てて出てきたのは僕の親と同じくらいの年齢だろう女の人だった。
彼女の言葉にぺこりと彼が頭を下げた事で、僕は彼が“真吾”という名前なんだという事を知った。
「毎日毎日ありがとうね。」
「いえ。」
毎日!?
「早くこの子の引き取り先が見つかってくれるといいんだけれど。うちで飼ってあげたいけどアレルギーがあるのはどうしようもないし…。」
「…俺も、マンションでなければ飼ってやりたいです。」
そんな会話を2人がしていると、またカランカランと音を立てて、今度はおじさんが出てきた。
「お、山口君じゃねぇか。今日も餌やりに来てたのか。」
「…猫好きなので。」
「毎日学校サボってまで来るなんて、よっぽど好きなんだなぁ。」
「今は休み時間です。」
まぁ確かに今は昼休みで、授業はやっていない。
ていうか本当に毎日来てるんだなぁ。
すると今度は通りすがりのおじさん…というにはまだ若い男の人が、『山口君』を見て足を止めた。
「あ、やっぱりこの時間に来たな少年。」
「少年…。」
「いやいや、この猫が懐くのはお前だけだからな、ついその瞬間を見ようと来ちまうんだよ。」
へぇ〜…。
あの猫、実は人見知りがあるのかなぁ。
そしたら僕と一緒だ。
「あら、真吾君がいる。餌やり?」
「今日も来たんだね〜山口君。」
「あ、あの猫が懐いてる!」
「山口君だぁ〜!」
「お兄ちゃん、私もネコさんに触りたいぃ〜!」
な、なんか続々と人が集まってきてる…!
や、やだなぁ…。
僕、人が多いとこ苦手なんだよぉ…。
も、もう学校に戻ろうかなぁ…。
悩んでる間にも続々と人は増えていくし…。
僕は、これ以上人が集まってこないうちに学校に戻ることにした。
その日知ったのは、茶髪で顔が整っている彼の名前が“山口真吾”だという事と……猫好きだという事だった。
それから一週間。
僕は彼が昼休みになるとビニール袋を持ったまま学校を出て行く姿を毎日見かける事になる。
そんな彼が上級生に囲まれ、いちゃもんつけられているのだから、つい声を上げてしまったのも仕方のないことかもしれない。
でも、予想通りというか何と言うか…山口君は僕を見ても興味がなさそうにフィと顔をそらし、大層退屈そうに雲行きの怪しい空を眺めるだけで。
…うん。
その反応、それはそれで悲しいものがあるよ。
ただ僕を見て頭がさめたのか、ただ単に気が削がれたのか「行こうぜ。」と言ってぞろぞろと上級生たちはその場を去っていった。
で。
残された僕と山口君はというと、ただ無言の時を過ごしていた。
といっても彼はもう僕の存在自体忘れているかのように空を見ているだけだけど。
そして僕は、何となく毎日見ているだけだった彼に話しかけるチャンスなのに、どうすればいいのか分からずに、ただ固まっていた。
内気な僕は今まで、自ら行動を起こした事が少ない。
いつも受け身でいるだけだ。
友達を作るのも、何かを始めるのも、いつも誰かからの行動を待っているだけ。
それはいけないと分かっているけれど、そう簡単に性格が変わるわけもなく、ずるずるとここまで来てしまった。
あぁ…。
こういう時…「友達になろうよ。」の一言でも言えたなら…。
そんな事を考えていた僕の頭に、フッとあの猫が浮かんできた。
山口君にしか懐いていない、山口君が微笑みかけていた、猫。
「……猫…。」
そしてそれはそのまま口をついて出てきた。
その単語を聞いた山口君は、今まで見ていた空から僕へ、視線を変えた。
…本当に猫が好きなんだね。
「僕も…猫、一緒に見に行ってもいい?」
それは本当に、頭で考えて出てきた言葉ではなくて。
自然に口から出てきた。
…そして気付いた。
僕は、彼と一緒にあの猫のところに行きたかったんだ。
「……。」
“どうしてその事を知ってるんだ。”
とか
“何でお前が一緒に来るんだ”
とか、後から考えてみればそう聞かれる可能性は高かったのに、その時の僕はそんな事全く考えていなかった。
そして山口君は何も言わず、かといって頷くこともなく、ただ僕の顔を見ているだけだった。