1. 雅人との出会い





僕は恋に落ちた。
といっても今の時点ではその相手は“人”ではなく“絵”だったけれど。
1つの絵を見た時、それはすとんと心の中に落ちてきた。
他の人から見たらただの空の絵だったかもしれない。
青空に浮かぶ雲と、一筋の光。
ただそれだけなのに、何故かその絵は僕の心を動かした。
今、この一瞬で恋をしてしまったのが分かった。

「…この絵、気に入ってくれた?」

ずっと1つの絵に見入っていた僕は、後から突然話しかけられて文字通り飛び上がった。
後ろを向くとそこには綺麗な顔をした、綺麗な黒髪の男の人(たぶん先輩)が立っていた。
そしてその時、ようやく自分が美術部の見学に来ていることを思い出し、“また”絵の世界に入っていたんだな、と苦笑してしまった。

「すみません。つい夢中になっちゃって。」
「いやいや。俺は嬉しいよ。この絵、気に入ってくれたんだろ?」

心の底から笑うその顔を見て、さっき胸に湧き上がっていた何かがまた溢れてきたのを僕はしっかりと自覚した。
今度は“絵”ではなく“人”に。
ただ困惑したのはその相手が男だった事だ。

「君、美術部に入る予定?」

つい見ほれてしまった僕は、はっと我に返った。

「あ、はい。中学のときも…美術部だったので…。」

なんだろう。
胸がどきどきする。

「大歓迎大歓迎。あ、なんなら仮入部ってことで今日から活動する?」
「いいんですか?」
「勿論。」
「ありがとうございます!…あ、僕、倉田忍(くらたしのぶ)って言います。宜しくお願いします。」
「あ、そうか。自己紹介がまだだったね。俺は部長の佐川雅人(さがわまさと)。まだ2年だけど3年の部員がいないから俺が今年から部長になったんだ。他にはあと5人部員がいるんだけど…奴らはあまり活動には来ないから新入部員が来るのすごく楽しみにしてたんだ。よろしくな!」

そういって出してきた右手に迷うことなく手を重ねた。
触れた瞬間、さっきとは比べ物にならないほど胸が高鳴ったが、それが何故なのかはまだ分からない振りをしようと決めた。
言ってくれた言葉が純粋に嬉しくて。

「僕も頑張ります!あ、じゃあこの絵を描いたのも…?」
「そ、俺。」
「……僕、この絵、すごい好きです。」

段々自分が興奮してくるのが分かった。
自分の、この気持ちを、目の前の綺麗な人に知ってもらいたい。

「僕は…こんな透き通った青を出す事なんて出来ません。こんな雲の力強さも…その間から漏れでている光も…。この絵を見てると、勇気をもらえるような気がします。」

一筋の光が、何か希望を表しているように感じる。

「…僕、小さい時から内気って言われてきて…自分でもそう思ってるんですけど。主張もうまく出来ないし、相手に気持ちを伝えるのも苦手で。ずっと変わらなきゃ、変わりたいって思ってたんですけどそれもなかなか出来なくて…。」

友達だってあまり出来なかった。
もちろん仲のいい友達は出来たけど。

「その中で見つけたのが絵なんです。これだけは自分を偽れない。僕の内面そのものを表してくれるのが絵だったんです。」

話している内に何を言っているのか次第に分からなくなってきたけれど、じっと話しを聞いてくれる事が嬉しくて止まらなかった。

「だからこの絵を見て思ったんです。描いた人はきっと、“何か”を求めてる人なんだって。」

一筋の希望を求めている。
でもそれは受身ではなくて自らの力で捜し求めている力強さもあって。

「…すごくあこがれます…。」

自分にはないものを持っている。
そんな気がする。

僕はとりあえず伝えたかった気持ちを全部話すことが出来た達成感からほっと息をついた。

「おっまえ、嬉しい事ばっか言ってくれるじゃないか!」

そして僕の話をすべて聞いた後、なんだか激しく感動しているらしい先輩が、その衝動のまま僕の頭をわしゃわしゃかき混ぜ始めた。

「わっ!」
「こーんな可愛い後輩が入部してくれるなんて俺は幸せ者だなー!」

そ、そんな大げさな…と思う反面、どうしても僕は胸の高鳴りを抑える事が出来なかった。
触れられる事が嬉しい。

「よっし!それじゃあバリバリやるか!とりあえずこの机の配置換えをしようと思ってたんだ。今日中には終わらないと思ってたけど2人なら下校前には終わるな!そしたら明日から本格的に活動するぞー!」

とりあえず分かったのは、綺麗な外見とは裏腹に中身はとても男らしい人だということだった。






「すっかり遅くなったな。ごめんなー、初日っから。」

下校前には終わると思っていた配置換えだったが、会話が弾んでしまい終わった時には下校時間はとうに過ぎていた。

「いえ、僕はいいですよ。楽しかったですし。それに寮なのですぐ近くですし…。それより先輩のほうが…。」

寮の僕とは違って先輩は自宅通学らしい。

「あ、俺もチャリですぐだからヘーキヘーキ。」

そう言って屈託なく笑うその綺麗な顔から目が離せない。
どうしよう。
男相手におかしいとは思うが、この気持ちは…。

「じゃぁな。忍も近くだからって油断せずに帰れよ〜。」

油断って何に?と聞く暇なくそう叫びながらチャリ置き場に走る先輩を見ながら、僕は自分の気持ちを持て余していた。

…てか、あれ?
今、先輩…“忍”って言ってなかった…?

「うわあぁぁぁ!」

何照れてんだ僕ー!
きっと顔は真っ赤になってる!

1人で暫くじたばたしていたけど、ふと我に返ってとりあえず寮に帰ろうと歩き出した。
そのときだった。
遠くから声が聞こえてきたのは。
何人かの声だったが、叫び声だった気がする。

「……。」

普段の自分だったら自ら首を突っ込むような勇気もなく見てみぬ振りをしてしまうが、今日は何故かそう思うより先に体が動いた。
声がしたのは何処かの部室だ。






声のした方にゆっくり近づいていくと、たどり着いたのは弓道部の部室前だった。
慎重に顔を覗かせると、状況がよく見えた。
3人の生徒が、誰か分からないけど1人を取り囲んでいる。

「お前新入生のクセに生意気なんだよ!」
「ちょっと上手いからってそんな態度でいいと思ってんのか!?」
「……。」
「黙ってねーでなんとか言えよ!」

うわぁ…。
なんか、お約束な下級生いびり…?
言ってる事も古典的過ぎる…。

…怖くてとてもそんなこと口に出して言えないけど。

「ど、どうしよう…。」

誰か呼んできたほうがいいかな…。
なんか、このままだと殴り合いのケンカにでも発展しそうな気がする…。
もしそうなっても僕じゃどうにもならないし…。

わたわた考えて、よし、先生を呼びにいこうと決心した時、上級生に囲まれていた新入生の顔がチラっと見えた。
その顔を見た瞬間、僕はつい大きな声を上げてしまった。

「あっ!山口君!」

そして次の瞬間には後悔した。
山口君と数人の上級生達が一斉にこっちを振り返ったから。

普段あんな声は出ないのにどうしてこういう時に限って出ちゃうんだよ…。