1章



Act.9


「何をどう考えたら俺があいつを好きとかって結論になるんだよ!?」
「いや、今のはどう考えてもそういう結論になると思うんだけど…。」
「うっわ!すっげぇ鳥肌立った!見ろよこれ!」

…なんでそこまで拒絶反応示すんだろう…。

「それって聖也にも失礼だけど何気に俺にも失礼だよな。」
「ま、好みは人それぞれだしな!」

フォローになってねぇよ!!
思わず心の中で叫んだけど、何の悪気もない顔をしてそういい切る徹がやけにおかしくて。

俺は久しぶりに、声を上げて笑った。

「っくくく…なに…そん…。」
「…海斗?」

そう呟きながら呆然と俺を眺める徹を見ると、笑いの発作は更に加速して。

「も、やば……とまらな…ははっ…。」
「なんで笑われてるんだ俺…。」
「だ…って、おま…ははははっ。」

自分でもすでに何がおかしいのかよく分からなくなってくるほど笑って、笑って。
めったにこんな馬鹿笑いをすることのない俺にクラスの奴らが驚いてるのが分かったけど、どうしても止められなかった。
こんなに笑ったのは何年ぶりだろう。

そうしてやっと笑いが収まったころには腹が痛かった。

「ぬぁ…笑いすぎて腹が…。」
「…海斗って意外と馬鹿だったんだな。」
「徹には負けるけどな。」
「なにおぅ。」

徹のこういう気軽さは好きだ。
それでいて肝心なところでは相手のペースを崩さないからそういうところは尊敬してる。
意外と教師とか向いてるかもな…。
……なのに何故将来は手品師になりたいんだろう…。

まぁ、それこそ人それぞれだけど…。

「なぁんか、海斗の全快の笑顔って初めて見た気がするな〜。」
「ま、普段からそんなに心から笑う事なんてないし…。」
「……それは、昔から?」
「え?そうだけど……ってかどうしたんだよ。いきなり頭抱えて…。」

頬杖をついて話していた徹が次第にしかめっ面になったと思ったら、今度は急に頭を抱えだした。

「いや、さっきから…約一名の視線がかなり痛いんだよ俺…。」

そして俺にしか見えないように指差した先をちらりと見てみると、そこにいたのは聖也だった。
なるほど。
確かにあんなに凝視されたら気になるけど…。

「なんでこっちそんなに見てんだ?あいつ。」

俺としてはこっちを見ていてくれるのは正直嬉しい。
それだけ、気にしてくれているって事だから。

「……さっきまであいつ、すっげぇ目で俺の事睨んでたんだぞ。」
「え?」

睨んでたって…聖也が?徹を?何で?

「視線で人って殺せるんだな。俺、マジ死ぬかと思った。」
「いや、それはさすがにないと…。」

それ以前に誰かを睨んでる聖也が想像できない。
人並みに騒いだりはするし怒ったりもするけど…何かに執着することはなく、いつもどこか自分のペースは崩さないでいるような奴だから。

「…ようやく自覚したってことなのかな…。」
「え?何か言った?」

ポツリと呟いた徹の言葉は教室の中のざわめきにかき消されて、俺の耳まで届かなかった。
徹ももともと俺に伝えるつもりはなかったみたいで。

「ん?や、なんでもない。」
「?」

徹はそれからしばらく何かを思案していたけど、また突然がばっと俺の顔を覗き込むと、小さな声で話しかけた。

「海斗の過去、探すか?」
「…え?」
「今の話だと、つまり自分の過去がはっきりしないと先に進めないって事だろ?」
「あ、ああ…。」
「だったら、その過去の記憶を探さないことには何も始まらないって事じゃないか。だから…って、海斗?どうした?」

過去を思い出す…。
忘れてしまった記憶を探し出す…。
確かにこのままじゃ先に進めないし、いつまでもこのままでいられるとも思わないけど…。
何だろう…。
怖い。

「顔が真っ青だぞ…。」
「や、何でも…。」
「……。」
「ほんと…大丈夫。」

自分でそう言っておきながら、全く信憑性がないなと思った。
こんなに手が震えているのに。

「……人間はさ、自己防衛本能があるだろ?」
「え?う、ん。」
「海斗の記憶がないのもその自己防衛が働いたと考えると、よほどのことがあったんだろな。思い出さないほうがいい事なのかもしれない…。」
「……。」

自分を守る為に、すべてを忘れた…?

「海斗、とにかく余計なことを考えるなよ。今の顔よりさっきみたいな笑ってる顔のほうが全然いいから。」

さらりと徹は言ったけど、言われた方にしてみると結構恥ずかしいセリフということに気づいていないんだろうか…。
思わず顔を赤くしてしまった俺を見て、少し首をかしげた徹は更に何かを言おうとした。
けれど、ちょうどその時タイミングよく教師が教室に入ってきたから「また後で。」と小声で言って自分の席に行ってしまった。
思わずふぅ、と息をつくと、いつの間にか席に戻ってきた栗原がこっちを見ていた。
普段は俺に視線を向ける事もめったにないから、内心驚きながら「何?」と聞くと、何かを言いたげにしながらも首を横に振って、それっきりこちらを見ることはなかった。






◇◇◇◇◇◇






誰かが上から俺を見ている。
この時の俺がその歪んだ口から出てくる言葉を理解できたのはたったの何割かだった。
でもどれも自分にとっては歓迎できるものではないことだけは分かった。
むしろそれは憎悪を感じるほどの事実で…。

俺は…。






「海斗!」
「っ!?」

はっと気づいた時は教室だった。
いつの間にか俺は机に突っ伏して寝ていたらしく、目を覚ました時、目の前には聖也がいた。
よく状況が理解できなくて周りを見渡してみるとどうやらもう昼になっているみたいで、各々弁当を広げたり食堂に行ったりしていた。
あれ…?
俺、今日なんか授業受けたっけ?
顔にも頭の上にもはてなマークを沢山飛ばしているだろう俺を見て、聖也は呆れたような、それでいて心配そうな器用な顔をした。

「お前、1限始まったとたん寝たと思ったら休み時間になっても次の授業始まってもピクリとも動かねぇで寝続けてたんだぞ。1日睡眠時間どんだけ取る気なんだよ。」
「え。そんなに寝てた?俺。」
「何言っても起きないから先生も最後は諦めて放置してたぞ。」

うっわ最悪。
次の授業で絶対集中的に当てられる…!
思わずまた机に突っ伏すと、上から聖也が笑った気配がした。
そして頭の上に暖かい感触。

「ノートは貸してやるから。分かんないとこあったら聞けよ。」
「え、あ、あり…がと。」

そのまま2回ポンポンと俺の頭を叩くと、その感触はふっと離れていった。

「飯食おうぜ。」
「あ、うん。」

のろのろと顔を上げた俺はそう返事をしながら昔のことを思い出していた。
今のやり取りは中学生の時、よくしていた事だ。
あの頃も俺はよく授業中に居眠りをしていて、テスト期間になると聖也に泣きついていた。
同じ家に住んでいるから聖也も俺から逃げ切れず、いつも面倒を見てくれていた。
自分の勉強だってあったんだからきっと嫌々俺に付き合ってくれていただけなんだろうけど…。
そういえばこの高校に入ってから、そんな事もなくなっていた。
あんなにしょっちゅう聖也に泣きついていた俺がいきなり何も言わなくなったから、さすがの聖也も何かを感じたんだろう。
だから俺の様子がおかしい事に気づいたのかもしれない。
…俺、本当に聖也に甘えてたんだな…。

「ところで海斗。」
「え?何?」

いつの間にかコンビニの袋を広げてパンを食べ始めていた聖也が、ふと思いついたように声を上げた。
気付くと俺は無意識に昼の準備をしていたみたいで、手におにぎりを持っていた。
その自分の行動に軽く衝撃を受けつつ返事をすると、聖也は身を乗り出してきた。

「さっき寝てる間、何か夢でも見てたのか?」
「……夢?」
「なんか起こす少し前からボソボソ呟いてたから。何て言ってたのかまでは分からなかったけど。」

夢…?
言われてみれば何か…覚えのある夢を見ていた気がする…。
誰かが……いたような…。
……誰が…?

「…さぁ…覚えてない…。」
「………そう、か。」

どう説明したらいいのか分からずにただそう答えると、明らかに安堵したような声で聖也はそう言った。

まるで、覚えてなくてよかったというみたいに。


俺はそのときも自分の事で精一杯だったから、少し離れたところから栗原と徹が心配そうに見守っている事に気付かなかった。