1章
Act.8
新学期になった。
あの日からも俺達はいつも通りに会って、話して、過ごしていたけれど…。
俺は、笑顔が作れなくなった。
前みたいに、聖也の前で自然な笑顔ができなくなった。
今まで何があってもそれだけはできていたのに。
「海斗。」
「え?あ、聖也。おはよ。」
最近めっきり早起きが習慣付いてしまった俺は今日も早く寮を出たが、その途中聖也に捕まった。
…2人きりで話すのはクリスマスイブ以来かもしれない。
とはいってもあの時もそんなに時間はなかったから、たいした事は話してないけど。
「ちょうどよかった。一緒に行こうぜ。」
…“ちょうどよかった”?
「俺になんか用でもあったの?」
「ん?いや、そーゆーわけじゃないけど…。」
それにしては歯切れが悪い。
やっぱり何か言いたいことでもあるんじゃないんだろうか。
聖也は意外と溜め込むタイプだ。
責任感が強いのか、弱みを見せたくないのか、自分の悩みや弱みは絶対に見せない。
一番近くで聖也を見てきたであろう俺も、数えるほどしか見たことがない。
といってる俺も同じで…いや、もしかしたら聖也以上かもしれない。
なんでも自分の中に溜め込んで、考えて考えて爆発するタイプだ。
でも、それが分かっていながら何年も変えることの出来なかったこの性格は、近頃少しずつ変化している。
それは確か、徹に俺の聖也への気持ちがばれた頃からだと思う。
徹はああ見えて聞き上手なところがある。
…聞き上手というより相手から話を引き出すのが上手いと言ったほうがいいかもしれない。
始めはなかなか話せなかったことも、最近では自分から進んで相談にのってもらったりしている。
…いや、今は俺のことじゃなくて聖也の事だ。
聖也は誰にも、自分をさらけ出したりはしない。
何かを恐れているみたいに。
言いたい事も、聞きたい事も言わず、すべて自分で解決しようとしてしまう。
そんな事を思いながらじっと聖也を見つめていると、ため息を吐かれた。
…ため息を吐きたいのは俺のほうなんだけど…。
切実に。
「年末にさ、飲み会しただろ?神林の部屋で。それから海斗、更に何かおかしくないか?」
言うのを渋っているのかと思ったら、意外とあっさり言ったな。
しかもその話は今の俺にはタブーだ。
おまけに更にとか言われてるよ…。
そういえばちょっと前から俺の様子がおかしいことに聖也は気がついていた。
「別にいつも通りだけど?」
精一杯の笑顔でそう返したつもりだったのに、目の前にある顔はかすかに歪んだように見えた。
驚いたような、悲しんでいるような、傷ついているような。
……聖也?
「…海斗、俺たちはさ、生まれてからほぼずっと一緒にいたようなもので…家族みたいなもんだろ?」
聖也は突然どこか居心地が悪そうにそう切り出した。
確かに、生まれたのはお互いばらばらだったし、実際に俺と聖也が会ったのは5ヶ月目くらいだったと聞いたけど…物心ついたときにはもう隣に聖也はいたし家族みたいなものといわれたらそうなんだろう。
…家族、か。
「だからさ、出来れば俺は何でも話してほしいんだ。些細な悩みでも、愚痴でも…。」
“家族”でいたら、ずっと傍にいられるんだろうか。
例えばもし恋人になれたとしても、どちらかに他に好きな人が出来て別れてしまったら疎遠になってしまう気がする。
もしずっと“友達”でいられるとしても、片方が遠くに行ってしまったら、今みたいに会うこともできない。
家族だったら…。
ずっとこのままで疎遠になることもなく、いられるのだろうか。
でもそれは後悔するような気がする。
有川や徹が言っていたように、やっぱり俺は逃げてばかりだから…。
これ以上逃げ続けていたら…いつか絶対、あの時進めばよかったと思うときが来る。
それは分かっているのに――……。
「…本当に、何もないよ、聖也。」
何故か、先に進めない。
何かが俺を引き止める。
それ以上は駄目だ、と。
俺は何か、重大なことを忘れている…。
「…海斗…。」
後から思えばこの時、聖也はどこか悲しそうな顔をしていたけれど、そのときの俺は全く気がつくことはなかった。
あの後、特に会話らしい会話もないまま学校に到着し、教室で自然に聖也とはわかれた。
自分の席についた俺の視界の隅で栗原が聖也の方へ近づいていくのが分かったけれど、その姿を追いかけることはしなかった。
思わずため息がでる。
「朝っぱらから暗いぞ〜。海斗〜。」
ドベシッとよく分からない効果音を出しながら俺の頭をたたき、そう言ってきたのはもちろん徹。
あの日のような、少し怖い徹が嘘だったようにいつも通りだ。
自分とちゃんと向き合う…。
あの時言われた徹の言葉は、しばらく時間が経った頃ようやく俺の心に響いて来た。
逃げるな。
向き合え。
それは決して、聖也に気持ちを伝えろと言っているわけではなくて、自分の心に嘘をつくなと言っていることだと分かったのは昨日。
聖也の傍にいたい。
離れたくない。
その気持ちを心の奥深くに沈めて表に出てきた気持ちは全く逆のものだった。
聖也から離れたい。
距離をおきたい。
失うのが怖いというのも決して嘘ではないけれど、だからといって独りでいられるわけでもない。
生きている限り必ずだれかと寄り添って、支え合っていかなくてはならない。
“大切な人”は、そうしていくうちに自然に出来ていくものだ。
俺にとってはそれが聖也だったというだけ。
その気持ちにまで嘘をついてはいけない。
そう思えるようになっただけでも、進歩なのかもしれない。
「あれ?でもなんかいつもより吹っ切れたような顔してるな。」
「…どうして徹はそんなことまで分かんだよ…。」
「俺は海斗のことはよく分かるぞ〜。」
「……それって単純に俺が分かりやすいとかって…。」
「ん〜?ま、どうだろな?」
というかなんかさらっとすごい事言われたような…。
「なんか心境の変化とかあったのか?」
「心境の変化というかなんというか…。自分の気持ちには嘘をついちゃいけないな〜と思って…。」
「おお〜。それでそれで?」
「え…、それだけだけど?」
「なんだそりゃ。」
俺にとってはこれだけでも充分な進歩なんだけどな…。
そんな俺の気持ちが伝わったのかは分からないが、徹はいつものようにポン、と頭に手を置いた。
その手に押し出されるみたいに、俺の心から何かが湧き上がってきた。
「…なんか、さ。」
「うん?」
「…なんか…俺、変なんだよ…。」
「変?」
「うん…。」
俺が頷くと、徹は隣の席の栗原の椅子を引いて座った。
…どうやら真剣に俺の話し相手になってくれるらしい。
「…あれからこれでも一応色々考えたんだ。栗原と聖也の事とか…。有川や徹から言われたこと…それから…自分の気持ちのこと…。」
考えれば考えるほどわけが分からなくなったけど…。
「それでまぁ結果的に自分の気持ちにだけは嘘をついちゃいけないって結論に至った。そしたら急に…こう…何かが弾けた。」
「…弾けた?」
「そう。聖也から離れようとか、自分の気持ちは押し殺してずっと家族でいたほうがいいのかとか…色々考えたけどどれも本当の望みではなくて…このままじゃいつか後悔するって気がついた。どうせ後悔するなら、当たって砕けろとかでもいいのかな、とか。」
「…なんか今までうじうじ考えてた海斗とは思えない開き直りだな…。」
うじうじ…?
ちょっとショックだったな今の一言は。
「でも問題はそれからだったんだ。それまでは確かに自分と向き合ってたはずなのに、急に何かが俺にstopをかけるんだ。」
「stop?」
「そう。何かが俺にブレーキをかける。それ以上進むなというように。」
進むな。
止まれ。
そして、後戻りも出来なくなった俺は、聖也の前で笑顔が作れなくなった。
“このままこれ以上進むことは出来ない。”
「…そこまで分かったとき、やっと気づいた。自分が何に一番恐れていたのか。」
ずっと恐れていた心の中の闇。
それは嫉妬とか、妬みとか、そういうものもあったけど…。
「俺は、自分の過去そのものに怯えているんだ。」
また突然、知らないうちに大切な人を失うかもしれない。
そのとき、自分の中にある暗い闇に飲み込まれてしまうかもしれない。
そう感じていた漠然な不安も間違いではないけれど、それ以上に恐れているのは、そうなってしまう自分を作り出したであろう過去の出来事。
忘れてしまったはずの記憶の中の何かが俺を引きとめる。
それ以上進んでしまったら駄目だ、と。
「…忘れなければいけないほどの“何か”がきっと、過去にあったんだ。」
「……。」
「それを思い出すのが怖い。そしてきっと、きっかけは聖也と関係しているんだ。」
そうでなければここまで聖也と離れたいと願うはずがない。
なんだかんだと理由をつけて今まで逃げてきたのは、すべて自分の過去から目を背けるためだったんだ。
「…な〜んか、すっきりまとまらないな〜。」
「え?」
何も言わずにじっと聞いていた徹がおもむろに顔を背けながらそう呟いた。
「海斗の過去はなんだかすべてが謎に包まれてて考えようがねぇよ。きっと上原はなんか知ってんだろうけどな。」
「…うん…。」
何度聞いても沈黙を破らないけど。
「じゃ、さ。とりあえずはっきりしている事は、海斗は上原にいつか伝えるって事だよな。」
「……なに、を?」
「何って、自分の気持ち。」
な、何か、いきなり嫌な汗かいてきた。
「そ、そうなる…ね。」
「よし。じゃあこれでやっと同じラインに立てたってわけだ。」
…同じライン?
「同じラインってどういう…?」
「そのまんまの意味だけど?」
そんな不思議そうな顔でこっちを見られても困るんだけど…。
え、何。
同じラインってことは…もしかして…。
「……徹の好きな奴って…まさか聖也?」
おそるおそる尋ねた俺の質問に返ってきたのは、全身に鳥肌を立てた徹の本気の否定だった。