1章




「近くにいたほうが忘れられないことだってあるんだぞ。」


Act.5


「栗原、もう戻ってきて大丈夫なのか?」

12月30日。
寮のコミュニケーションホール(階ごとに設置されている)で俺と聖也、徹、栗原と有川の5人は時間を持て余していた。
寮の連中が続々と実家に帰っていく中、少数の学生は帰省はせずに寮に残っている。
聖也のおじさん、おばさんからはぜひ帰ってこいと言われていたが、直前になって俺は寮残り組みに加わった。

というのも冬休みになってすぐに有川がライブから帰ってきたからだ。

有川は一応実家から通っていることになっているが、ほとんど家には帰っていない。
色々事情があるらしいが、詳しい事は分からない。
どうも家には行きたくないらしく、荷物もほとんど寮の倉庫の中に置いている。
学校には誰かの部屋に泊まって通っているため、俺は有川がライブから帰ってきているときはなるべく寮にいるようにしている。
そんなわけで今年の年末年始は寮で過ごすことにしたわけだが、なぜか俺に続いて聖也、徹も残ると言い出し、大晦日直前――つまり今日――には栗原が寮に入ってきた。
そして栗原はそのまま寮に残ることにしたらしく、それを聞いた聖也がさっきの言葉を発したわけだが…。

「うん…。大丈夫。」

儚い笑顔で頷かれても説得力がない。

「むしろ家を追い出されちゃって。そんな辛気臭い顔してたらおばあちゃんが悲しむ〜って言って。」

パワフルな家族だな。
というかちょっと変わっている。

「…そっか。まぁ、栗原がいいならいいけど。」
「ありがとう。上原君」

そんな二人のやり取りを俺は無意識の内に眺めていた。
その時、どんな表情だったのかは徹が心配そうにこっちを伺っていたから容易に想像できた。
…今日の俺はいつも以上にポーカーフェイスができなくなっている。

栗原が寮に入ってきたと知った時、なぜか胸騒ぎがしたんだ。
俺が忘れている何かを…呼び起こされそうな予感。
それは決して開けてはいけない扉。
すべてを失ってしまうという妙な確信もあって。
…今まで以上に栗原に近寄らなくなってしまった。

……そして思い出した。
初めて話した時、俺の名前を聞いた途端表情を変えた栗原を。
俺に怯えている栗原を。

栗原は、『俺』を知っているんだろうか…。


「…酒盛りしよう…。」
「へっ!?」

さっきまで俺の真正面に座っていたはずの有川がいつの間にか隣に来ていた。
有川は基本しゃべらない。
まして酒盛りなんて言葉を発したところ、見たことがない。
というか有川と酒盛りという言葉が結びつかない。 しかもこれは明らかに俺に向かって言っている。

衝撃だった。

「ど、どうしたんだ有川!?酒盛り?酒盛りって言った??酒盛りってあの酒盛りか!?他にどんな酒盛りがあるのか知らないけど!いや、することに意義はないけど何かあったのか!?」

てか酒盛り連呼しすぎだよ俺。

「いや、そうだよな。有川だって酒が飲みたくなる時はあるよな!ごめん、大げさに驚いて…。」
「………。」

俺がわたわたしていても有川のやけに落ち着いている態度は変わることがなく。
ようやく1人パニックが落ち着いてきた頃、口を開いた。

「…俺じゃ…なくて…。」
「え?」
「…海斗。」

おれ?

「……海斗は…。」
「何々何の話!?さっき酒とか聞こえたんだけど、今日飲むんか!?」

突然妙なテンション奴が割り込んできた。
いや、このメンツの中であんなテンションは徹の1人しかいないけど!!
そして話を遮られた有川は一つため息を落とし、諦めたように言った。

「みんなで…飲もう。」






◇◇◇◇◇






2時間後。
隣の部屋の奴が帰省しているという徹の部屋で宴会が始まっている。
メンバーはさっきの5人。
俺が飲むと聞いた途端なぜか聖也も参戦した。
有川は「相変らず過保護だね…。」とつぶやいていたが、過保護だったことなんてあったか?と考えて思い出した。
そういえば栗原が転校してくる前はほとんど毎日といっていいほど朝は起こしてもらっていたし、下手したらその日の授業の準備までしてくれていた。
小学生か俺は。

「は〜い。では、皆さんにこの将来の手品師があっと驚くショーをご覧にいれましょう!!」

そして小学生よりたちの悪い酔っ払いの手品ショーが始まった。
言わなくても分かると思うけど、徹だ。

「ほらほら海斗!そんな胡散臭そうな顔してないで見てろよ!!」
「別にそんな顔してないと思うけど…。」
「いや、している!」
「してない。」
「というよりぼ〜としてるだけか!」

さらっと失礼だぞ!それ。

「……僕も、手品やってみたい…かも。」
「あれ?栗原ってこういうのに興味あんのか?」
「うん。なんかうまくできたらすっごく気持ち良さそうだから…。」
「よしきた!じゃあ今日は特別に一つ、ネタ明かしをしてやろう!」
「え…そんな簡単にしちゃっていいの…?」

栗原に徹の関心が移ったところで、俺は一息ついた。
なんていうか、緊張する。
何に緊張しているのかは分からないが、体に力が入っているのが分かる。
何気なく握っていた手を眺めていたら隣から視線を感じた。
有川だ。
ふと目が合うと、離せなくなってしまった。
今まで見たことがないくらい真剣な目をしていたから。
そういえば今日はよく有川が俺の近くにやってくる。
さっきも何かを言いかけていたし…。

「…まだ…。」

そんな事を考えていたら、有川はおもむろに口を開いた。

「え?何?」
「……まだ…早いよ…。」

早い?

「…早いって…何が?」

有川は普段あまりしゃべらない。
だがその分、有川が話す事には重みがある。

話さない分、よく見ている。
たまに、すべてを見透かされていると思う時すらある。

「神林は、まだ……諦めてない…。」
「…徹?」
「……今の…海斗は、何だか、逃げているように…感じる。」

ドキッとした。
確かに俺は逃げている。

…ただ、自分が何から逃げているのかもう分からない。
聖也なのか、栗原なのか、それとも――?

「海斗。…逃げたらきっと、後悔……する。」

後悔…。
なにか、似たようなことを…徹からも言われたような気がする。
あれはなんだったっけ…?

「…たまには…逃げるのも必要…だけど…。まだ…早いよ…?」

それは、諦めるなって事…だよな?

「…有川は…俺が何から逃げているか…知ってるの…か?」

自分ですら分からなくなっているのに。

「……俺は想像の域を出ないから…なんとも言えない…けど…。俺は…後悔だけは……しないでほしい…。」

なぜだかこの瞬間、俺は泣きそうになった。