3章



Act.34


俺はいつも大事な事を忘れてしまう。

良い事も、悪い事も。




◇◇◇◇◇◇






「…い、おい、海斗。」
「っ。」

しまった。
意識が飛んでた。

あまりに俺が反応しないからか、いつのまにか肩を揺さぶられていた。
目の前には当然聖也がいる。

「どうしたんだ?」
「……。」

俺は……栗原の…。

「海斗?」
「…いや、今…何か思い出したような気がしたんだけど…。なんだったっけ…。」
「……。」

俺が頭を振りながらそう答えると聖也は何も言わず俺に手を伸ばしてきた。

「聖也?」

そのままゆっくり俺を抱きしめた。
何か…大事なものを扱うかのように。
その体温を感じると、ふっと力が抜けた。

あぁ。
俺は、守られている。
昔からずっと、変わらずに俺は守られている。

守られている…だけだ。

「……ごめん…。」
「海斗?」

聖也が不思議そうに俺の名前を呼ぶけど、それに答える事は出来なかった。

「ごめん…。」

守られてばかりでごめん。
何も出来なくて、ごめん。

何も言えなくて…ごめん。

俺は皆に頼ってばかりだ。
甘えてばかりだ。

「…大丈夫、だから。」
「……。」
「なんかあったら、ちゃんと言うから。」

どうしようもなくなるまで。
自分の力で、頑張るから。

「…海斗。頼むから、俺に…遠慮とかそういうのはしないでくれ。」
「………あぁ。」
「俺は……。」

俺を抱きしめる腕の力が強くなった。
そしてふっと、片方の手が顎に回ったと感じた瞬間。
ぐっと顔を上に向けられて、気づいたら唇に何かが触れていた。
見開いた目に映ったのは、見慣れた聖也の、顔。
軽く触れただけのそれが何か理解した瞬間、自分でもどうかと思うくらい動揺してしまった。

「…え?なに、せ…っ。」

動揺して、思わず口を開いたら今度は触れるだけではないキスをされた。
パニックになってる間に聖也の舌が、俺の舌に絡んでくる。
あまりに驚きすぎて抵抗も何も出来なかった。
背中に当たっている壁とか、抱きしめられてる腕とか、そういう感触は確かに感じるのに、重なり合ってる唇だけが、やけに遠く感じられて。

そういえば。
前も聖也にキスされた事がなかったか?
その後に起こった事が衝撃すぎて今の今まで忘れてたけど。

あの時は、俺が徹の事を思い出した時で。
首に付けられた…その、キスマークを見つけられた時に…。

……。

あ、あれ?
その後…。

「っ!!」

あの夜の事が急に頭の中に蘇ってきて、思いっきり聖也の体を押し返してしまった。
真っ赤になっているだろう俺の顔を見て、聖也は驚いたような表情をしている。

そして俺は、軽いパニックがまだ続いていた。
心臓はバクバクと、慌ただしく動いている。

どうして忘れていたんだろう。
どうして忘れられていたんだろう。

あの夜。
聖也が何をしようとしていたのかは分かったけれど、何を思っていたのかは、分からないままだ。

何も言えずに茫然としているだけの俺をじっと見ていた聖也は、少し苦しげに笑った。

「…悪い。またいきなりこんなことして。」
「……っ、せい」
「でも、もう無理だ。このままただ見ているだけなんて出来ない。」

こんな聖也は初めて見るかもしれない。
なんでそんな自嘲的な笑みを浮かべているんだ?

「海斗、俺は小さいことから誓ってた。何があってもお前を護る、絶対に離れないって。お前の笑顔を護れるなら何でもするって、そう誓った。」

不意に、子供の頃の姿が浮かんだ。
俺の手を握り締めながらただただ俺の名前を呼んでいた聖也。
泣きながら、俺に忘れくれ、と願っていたあの時の声が。

「でも中学の時も、高校になった今でさえ、俺はただ傍にいるだけで、何も出来なかった。……怖くて、先に進む事が出来なかった。それじゃ何も変わらないのに。」

俺の頬を両手で挟むようにして包み込む。
その手は、暖かくて…少し、震えていた。

「海斗。好きだ。」

俺の目を見つめて。
さっきの笑みなんて面影もない真剣な表情で。

「お前を誰にも渡したくない。誰にも触れさせたくない。ずっと傍で閉じ込めておきたい。」

そんな事を言う聖也が信じられなくて。
でも、その表情が嘘ではないと訴えている。

俺の混乱は更に広がった。

「本当は神林と一緒にいるのを見てるだけでも我慢できない。ずっと俺だけを見ていればいいとすら思う。」
「………せい、や。」
「この感情は当たり前すぎて、最近まで自分でも気づけなかった。……俺は、お前が好きなんだ、海斗。でも…すぐに返事が欲しいとか、そんなんじゃない。ただ、俺の気持ちを知っていてほしい。俺は何があっても、お前を護る。」

………なんで、こんなタイミングで。

「もう、ただの幼馴染だけじゃ、嫌なんだ。」

確かに今、俺はずっと望んでいた言葉を貰っているのに。
ずっとずっと欲しかったものに、手が届いているのに。

どうして…茫然と座り込む事しか…出来ないんだ。

「………海斗、一つだけ聞きたい。……神林の事、好きなのか?」

前にも、そんな質問をされた事があるような気がする。
でも、あの時とはその意味合いが違う事くらい俺にも分かる。
何故か言葉が出てこない俺は、その質問にゆっくりと首を横に振った。
もちろん友達として、徹の事は好きだけど。
今、聖也が言っている好きとは違う。

俺が好きなのは。

「そうか。なら、いい。」

ゆっくり俺から離れる聖也に、無意識に手を伸ばした時、チャイムが鳴った。
そういえば他の学年は授業中だったんだ。
そして、ようやく頭が働きだした俺は、出しかけていた手を戻した。

好きな相手に告白をするというのは、とても勇気がいる事だ。
相手が失いたくない唯一の相手なら尚更。
でも、俺が失うのを恐れて躊躇っている間に、徹も聖也も気持ちを伝えてくれた。
それなら俺も、ちゃんと勇気を出さなければいけない。

すべてきちんと、決着を付けて。

「海斗、本当に大丈夫なんだな?」
「…あぁ、大丈夫。」
「……そうか。俺…いや、何かあったらすぐ言え。」

聖也はそう言って俺の頭をくしゃっと撫でると、何か用事があるらしく、俺を心配そうに見ながらも教室を出て行った。

静かになった教室で俺はじっと考えた。



もうすぐ…栗原の三者面談が終わる時間だった。