3章
Act.31
別に自分の事を大人だと思っているわけではない。
かといって子供かと言われると、そういうわけでもない。
1人ですべての事をこなすことなんて出来ない。
でも、全く何も出来ないわけではない。
そもそも人間は、独りではいられないのだから。
ただ、それでも。
自分で出来ることはやりたいし、何が出来るのかを知りたいと思う。
だからそれを探したいと思うんだ。
これは逃げではなくて、前に進むための大事な一歩。
俺にとっては、大きな前進なんだ。
…なんだ、けど。
「さすがに今年の桜はもう散ってますよ、先輩。」
ぼんやり桜の木を眺めていると、後ろから声をかけられた。
振り向かなくても分かる。
この場所で俺を先輩と呼ぶ奴なんて1人しかいない。
「それは見れば分かるよ。」
「そうですか?でも随分長い間眺めていたので。」
「そんなに見てないと思うけど。」
「かれこれ5分は経ちますけど。桜はあまり好きじゃないって言ってませんでした?」
「そんなに経つ?…桜は散っていくのを見るのが嫌ってだけで、桜そのものを嫌いってわけじゃないよ。」
「そうなんですか。」
「そうなんです。」
やたら質問してくる高橋に答えている間も、俺は桜の木から目が離せないでいた。
今年も沢山の花弁をつけ、散っていった。
そして来年のための準備をこれから始めるのだろう。
来年…か。
次、桜の花を見ることができるのは…一年後なんだ。
「……そんなに待てないよな…。」
「え?」
ふと零してしまった呟きに、高橋は敏感に反応した。
「いや、桜に限らずだけど…散ってしまった桜の花を次に見ることができるのは来年だろ?」
「…そう…ですね。」
「一度あの綺麗な姿を知ってしまったら、来年まで待つなんて……なんだかぁ、と思って。」
「………先輩どうしたんですか?なんだかやたら…。」
「一応受験生だから。情緒不安定にもなるんだよ。」
本当は、散っていく桜を見たかった。
桜と一緒に、自分の中にある迷いも流してしまいたかった。
そんなこと、さすがに高橋には言えないけど。
「人は嫌でも変わっていかなきゃいけないだろう?」
「…変わらなきゃいけないんですか?」
あまりにも不思議そうに言うものだから、俺は視線を桜から高橋の方に向けた。
そこには手に大きな箱をもった高橋がいて。
「……もしかしてこれから地理?」
「よく分かりましたね。」
「俺もよくその箱持たされたからなー。」
「やっぱり変わっていかなきゃいけないものなんでしょうか。」
それがさっきの会話の続きだと理解するまでに数秒かかった。
なんかやけに話の続きを聞きたがっているように見える。
「いや、別にそんな大げさなものじゃなくて…う〜ん、なんていうか…前進?」
「前進?」
「そう。たまには立ち止まってもいいと思うけど、いつまでもそのまま止まってるわけにはいかないだろ?だからたまには前にも進まないと。」
俺がそんな風に思えるようになったのは、ごく最近のことだけど。
一歩を踏み出すことはとても難しい。
そして出してしまったら…あとは進むしかない。
「俺はもう、足を踏み出してしまったから進むしかないんだよ。」
でも、いざ進むとなると迷いが出てきて。
そんな時、まっすぐ前を向いていた高橋を思い出した。
桜が好きだと言っていた後輩。
その桜を見れば…何か、すっきりするような気がした。
「変化を望むのは、怖くないですか?」
「怖い?」
変化が、怖い。
そうか、そうなのかもしれない。
「先の見えない変化は、とても怖いです。」
「……先のことなんて、誰にも分からないだろ?」
変化があろうとなかろうと、未来のことなんて誰にも分からない。
ただ今のままでいれば、何も変わることはないだろうという安心感が生まれる。
「でも、分からないからこそ、皆変化を望むのかもしないな。」
「……鈴森先輩も、望んでいるんですか?」
「俺は今まで、前進どころか後退してたからなぁ…。何とも言えないけど。でも…。」
自分の過去を思い出して。
改めて周りを見渡してみた。
そして思った。
自分は、変わらなきゃいけない。
「…俺は、まだ、変わりたいとは思えません。」
なんだか話を聞いてくれる高橋に、俺はちょっと申し訳ない気持ちになってきた。
まさかここまで真剣に考えてくれるとは思ってなかった。
「うん。高橋がそう思うならそれでもいいと思う。ただこれは、自分の中の問題で。自分が変わりたいと思った時に、その一歩を踏み出せるかどうかが一番の問題だから。」
俺がそう言うと、高橋は急に笑みを浮かべた。
「今日の鈴森先輩の話は、俺には難しくてよく分かりません。」
「え、そう?」
それは話そのものが難しいという事なのか、単に俺の話し方が下手ということなのか、それとも抽象的すぎて分からないという事なのか。
判断に迷うところだ。
でも、俺自身はやけにすっきりした。
何が解決したわけでもないけれど、妙に吹っ切れた。
もしかしたら、ただ誰かに聞いてほしかっただけなのかもしれない。
「……先輩、桜には不思議な力があるんですよ。」
「え?」
「昔からよく言われているじゃないですか。桜にまつわる色々な話。」
「…なんか高橋からそういう事を聞くと、やけに違和感を感じる。」
「よく言われます。」
よく言われるんだ…。
「心に隙があると、桜に付け込まれるかもしれませんよ。」
笑いながらそう言う高橋の、その笑顔が怖い。
「あ、そろそろ授業始まるので、失礼します。」
「もうそんな時間?授業ガンバってな。」
「……鈴森先輩は?」
「三者面談が始まっててな。面談がない奴は今日はもう終わり。」
「えぇー。いいですね。」
「これも三年の特権なのかな。あ、ほら始まるぞ。」
「じゃぁ、失礼します。」
そう言うと高橋は箱を持って歩いて行った。
またここに静けさが戻ってきた。
「……変化が、怖い…か。」
確かにそうだよな。
現に俺だって、今までの関係が変わっていくのが怖くて、まだ進めずにいる事がある。
まだ、言えずにいることがある。
「………。」
俺って、成長してないなぁー…。
思わずため息をついた、その時だった。
後ろから声を掛けられたのは。
「…すみません。」
「はい?」
この学校ではあまり聞くことのない、女の人の声。
振り返るとそこにいたのは聖也のおばさんと同じくらいの年齢だと思われる人がいた。
「迷ってしまったみたいで…。三年生の教室へは、どう行ったらいいのかしら?」
あぁ、もしかして誰かの三者面談の…。
確かにこの学校は迷いやすいからなぁ。
「こちらです。」
「ごめんなさいね。」
口で言うのは大変だから一緒に教室まで案内しようと歩き出した俺は、まだ知らない。
この出会いが、新たな問題の始まりだったことを。