2章



Act.24


気付いたときには自分は自由になっていた。
目の前には男が倒れている。
頭から血を流して。
ふと自分の手を見てみると、赤い液体のついた、大きな石。

その手が、震えてる。

「…ぁ…?」

段々、記憶が蘇ってくる。
全身から力が抜けたその瞬間、手に何か冷たい感触がした。
石だ。
海斗の手より一回り大きい、石。
痛みと恐怖と…瞬間的に湧いた憎しみのまま、海斗はその石を振り回した。

そして衝撃。

え、と思った次には体は開放されていた。

何が起こったんだろう。
自分は…何を、してしまったんだろう。

「あ…ぁ…。」

持っていた石を放り投げて、そのまま海斗は自分の体を抱きしめた。
目の前の男は動かない。

「ああああ…。」

怖い怖い怖い。
助けて。

そんな思いを乗せた絶叫が、辺りに響き渡った。


『海斗…。』


そして海斗は、自分を呼ぶ女の人の声を聞いた気がした。







◇◇◇◇◇◇






海斗は今まで無意識に自分の過去を守っていた。
思い出さないように。
それが、こんな形になるなんて“俺”も思っていなかった。

「…海斗、さっき上原が出て行ったけど、あいつと何かあったのか?」

“俺”を抱きしめたまま徹はそう口を開いた。
海斗が自分の中に引き篭もってしまったのは確かに聖也が引き金だった。
でも、それは聖也が相手だったからではない。
海斗はただ、強い力が怖かっただけだ。
そして月明かり。
動かそうと思っても動けない、その圧倒的な力と…暗闇の中浮かび上がっている月明かり。
その2つの要素が過去を思い起こしてしまっただけ。

このままじゃ海斗が壊れてしまう気がして“俺”は咄嗟に出てきてしまったけど、それは果たして正しかったのだろうか。

「…何か、あったんだな。」

沈黙しか返さない“俺”に、徹はそうなんだと解釈してしまったらしい。
何かあったといえば確かにあったからあながち間違ってはいないけど。
でも。

「…違うよ、この涙と聖也は…関係ない。」
「……。」

徹は口を噤んでしまった。
彼は変わったと思う。
中学の時会った徹はなんだか荒れていて、海斗に話しかける時もどこか線を引いていた。

でも今は全くの逆だ。

妙に落ち着いた雰囲気を持っていて、相手を包み込むようなそんな空気を纏っている。
あの時引いていた線も、今は全く感じない。
それどころか積極的に溶け込もうとしているように見える。

徹を変えたのは、海斗なんだろうか。

そう思ったら自然に手が動いていた。
徹が求めている『好き』とは違うけど、海斗も“俺”も徹が好きだから。

「…海斗?」
「え?あ、ごめ…。」

背中に腕を回して抱きしめ返した“俺”に、徹は戸惑ったような声を出した。
思わずやってしまった行動だったから“俺”も驚いて、ぱっと手を離した。

「や、嬉しいからそのままでいいんだけどさ。」

ちょっと笑いながらぎゅっと力を強くする徹を好きになったなら、海斗も楽だっただろうに。
だって、海斗が過去を忘れてしまったのが自分の言葉のためだったと知ったら、聖也はどう思うんだろう。
絶対海斗に多少は負い目を感じてしまうはずで…。

でも、そのことすら知らずに聖也と過ごしていくわけにはいかない。
いつかは必ずわかる事だから。

「……海斗、なぁ海斗…。」
「…何?」
「好きだよ。」
「……。」
「…だから、教えてくれないか。……君は、誰?」
「っ!?」

勢いで徹の体を剥がしてしまった。
え、だって。

「…何言って…。」
「っふ。そんな反応したらそうですって言ってるようなもんじゃないか。」

肩を震わせて笑う徹はいつも通りだけど、笑えないって。

「…だって……。」
「いや、俺だって確証があったわけじゃないけどさ。でもそんな反応返されるとは思わなかった。」
「……。」

しまった。
うっかり自分で証明してしまったわけか。

「こういう所はホント海斗なんだけどなぁ。」

そりゃなぁ。
“俺”は海斗の一部だし。
そんなことよりどうして違うって分かったんだろう。

「俺は海斗のことなら何でも分かるって言わなかったっけ?」

そういえば言ってた気がする。

「いや、でも…。」
「まぁそれは大げさだけどさ。でもずっと変だと思ってたんだよ…いくらなんでもあの時と変わりすぎててさ。別人になったみたいで。」

それは中学の時のことか。
確かにあの時は海斗の中に眠っていた負の感情が真実を知ってしまったときに漏れ出てしまって“俺”もそれに引きずられて出てしまったけど。
でも、あの時はまだ海斗だった。

「今の海斗は、あの時の海斗に限りなく近く感じる。」
「……。」

今日は冴えてるぞ!徹君。
とか言ってる場合じゃない。

「……もしかしてさ、海斗が言ってた、自分の過去と何か関係があるんじゃないのか?」





◇◇◇◇◇◇






「おとうさん!」

どのくらい時間が経っただろうか。
男の子の声が聞こえた。

「おかあさん!おとうさんがたおれてるよ!」

そういってこっちに駆けてくるのは海斗と同じくらいの男の子。

「和弘!待ちなさい。……あなた!」

そして、見た事のない女の人。
その人は男を抱きかかえると、頭から血を流している事を知って蒼白になりながらも動かさないようにゆっくりと地面に横たわらせた。
そして救急車を呼んだ後ようやく海斗に気付くと、驚いたように目を見開いた。

「…君は……海斗君?」
「………ぇ?」

いまだ震える体を抱きしめながら海斗はゆっくりと女の人に視線を向けた。
その隣でこっちを見ている男の子にも。

「そう…なのね?どうしてここに…。まさかこの人が…?」

もう海斗は首を動かす事も出来なかった。
怖くて。
何も考えたくなくて。

「……大丈夫、心配しないで。私達はあなたに危害は加えないわ。」
「………。」
「…和弘、この子はあなたの……そうね、弟…よ。」

おとう…と?
僕が…この子の…おとうと?

「…じゃあ、おとうさんとあのおばさんの?」
「そうよ。」

ぱっと目を輝かせたその子は海斗に向かってにこっと笑った。
その目が、さっきのあの男に似ていて…。

「僕ね、かずひろっていうの!」

そう言って差し出してきた手から、逃げ出してしまった。

「…っやだ。やだやだ…!」
「海斗君…!落ち着いて。大丈夫だから…。」

震える海斗を抱きしめるその腕が、とても優しくて…。

海斗はそのまま意識を失った。