1章


「上原のことが好きなんだろう?」



Act.2



「昔はこの近くに住んでたのか?」
「うん。八歳くらいまでかな。親の都合で他のところに引っ越すことになったんだけど、こっちに住んでるおばあちゃんの具合が悪くなって、僕だけ戻ってくることになったんだ。」

「……。」
なんだろう。
この、入りにくい雰囲気は。

「じゃあ、今は一緒に住んでるのか…。」
「僕は他に何もできないから…。あ、でもご飯作ったりはなんとか…。」
「そうか…。」
聖也はどうしてそんな優しい顔で栗原を見つめているんだろう。
どうしてそんな穏やかな声で話しかけているんだろう。
どうして…俺は、こんな気持ちになっているんだろう。

「おっす!海斗〜。」
「!?」
教室のドアの前で、聖也と栗原が一緒にいる姿を見て動けなくなった俺は、突然後ろから声をかけられた。
思わず身を硬くして振り返ったが、そこにいる人物を認めて力を抜いた。
「なんだ、びっくりした。おはよ徹。」
「あ、あぁ…どうした?」
「いや…なんでもな…」
俺の言葉を無視して教室を覗き込んだ徹は、盛大に眉をしかめた。
「…いわけないよな?」
「…。」
徹には隠しても無駄だ。
それを悟った俺はため息をついてから頷いた。
「まあ、あの二人があんなに仲良くなるとは誰も思ってなかったって。」
「そうだよな…。」

正確には…聖也が、誰かとあんなに仲良くなるとは…だが。

「まだ栗原が来てから二週間だもんな〜。」
そう。
栗原が転校してきて二週間が経っている。

あの日、おとなしく俺の言葉に従って一緒に昼飯を食べたらしい二人は急激に距離を縮めた。誰もが目を見張るほどに。
もともと聖也は誰かとつるむなんて事がなかった。
それゆえにクールなんて言われていた。
かといって友達がいないかというとそういうわけではなく、むしろだれからも信頼されていた。
それは今も変わらない。
だから余計に戸惑ってしまう。

ここ二週間、聖也はいつも栗原と一緒にいるから。
日に日に聖也の態度が柔らかくなっていくから。
そして最近、栗原の目が…
聖也を見つめる栗原の目が…

この気持ちは嫌というほど知っている。
…だから、俺は。
あれから今まで以上に聖也を避け始めてしまった。

「…。」
この時俺はよほどひどい顔をしていたんだろう。
徹は何も言わず頭をポン、と叩いただけだった。


◇◇◇◇


「海斗、今日は部活ないんだろ。一緒に帰ろうぜ。」
「聖也…。」
どうしてこう、聖也はいつもいつも俺の日程を把握してるんだろう。
今まで特に疑問に思わなかった自分も大概抜けてるとは思うけど。
「ほら、さっさと支度しろよ。」
「あぁ…。」
特に断る口実もなかったので仕方なく支度を始めた。
まぁ、帰るといってもすぐ近くの寮だし…。
「…栗原は?」
気付けば口からするりと出ていた。
「もう帰ったけど。なんか買い物があるとかで。」
よく知ってんだな…。
思わず言いそうになった言葉を今度は無理やり飲み込んだ。
こんな小さな事にも敏感になってしまうなんて、末期だな。


「なぁ、海斗。」
「うん?」
「…いや、なんか二人で話すの久しぶりだな、と思って。」
そりゃそうだ。
俺が徹底的に避けてたからな!
「そうか?」
「そうだ。あんなに朝が弱かったくせに最近は俺より先に学校行ってる日があるくらいだ。」
おかげで連続遅刻記録はあのまま更新されていない。
この件に関しては栗原にお礼を言いたいくらいだ。
「それに最近…」
「……最近?」
聖也は何かを考えているかように口を噤んでしまった。
眉間には皺を寄せているくらいだ。
「最近何だよ。」
「…いや…。」
なぜかそのまま俺の顔をじっと見て、黙ってしまった。
眉間に皺を寄せたまま。
「…。」
「…。」
その顔があまりにもおかしくて。
「…っっく。」
「……おい。」
「…いや、わり…だって…くっっ…」

バシ!

「笑いすぎだバカ。」
結構今、本気で殴ったな?
「相変わらず手加減なしだなてめぇ…。」
おかげで笑いの発作はどっかに消えたが。
「お前が悪い。」
「今の一撃でかなりの脳細胞が死に絶えたと思うね俺は。」
「…お前が悪い。」
「元はといえばお前がいきなり話を切るから悪いんだろ。」
「俺はただ最近、お前の様子がおかしいから…」
「え?」
「…いや。」
今更しまったって顔で口を覆っても聞いちゃったもんね。
…ちょっとは俺の事、気にしてくれてたってこと…だよな?

俺も大概現金なやつだ。
だから。

「ありがとな。聖也。」
自然な笑顔でそう言えた。

「…なあ海斗、何かあったのか?」
俺のその態度に何かを感じたのか、聖也は今度はするりと言った。
「…別に何もないけど?何で?」
殊更不思議そうな顔をして聞くと、しばらく俺の顔を見つめていた聖也は安心したように息をついた。
「何もないならいいんだ。悪かったな。」
そういうと今度はやさしく頭を叩いた。
「…どうしてどいつもこいつも頭を叩くかな…。」
「ちょうどいい場所にあるから。」
「暗にチビだといわれているような気がするのはナゼだ。」
「実際そうだろ。」
「黙れ。」
聖也は、ふ、と笑うと俺の頭から手を離した。
「ほら、行くぞ。」
「ん。」
その後は至極穏やかに会話が続いた。

もう俺は慣れてしまったんだよ、聖也。
お前の前で、何でもない顔をしていられることに。
お前の前で、昔のように笑っているように見せることに。

こんな特技なんて、身につけたくなかった。
お前の前でだけは、自然な俺でいたかったよ。聖也。

すべては俺の自業自得だけど。


◇◇◇◇


「上原のことが好きなんだろう?」
「……え?」
こいつは何を言ってるんだろう…。
上原って、聖也の事だよな…?
……どうしてばれたんだ…?
「…そりゃ、好きだけど…?」
「ごまかすなよ。分かってるんだろう?俺が言った“好き”の意味。」
「いや…だって……え?聖也は…。」
「お前見てれば分かるよ。いつもアイツの事みてるから。」
「………。」
「ま、普通は分からないよな。でも、俺は、同じだから。」
「…同じ?」
「そ。俺も好きな奴がいる。もうずっと前から。」
「それって…もしかして。」
「…俺が好きな奴も男だよ。」
「……徹…。」
「だからさ、海斗。いつもそんな顔するなよ。」
「顔?そんなって…俺、どんな顔してるんだよ?」
「苦しそうで、何かを抱えてる顔。」
「どんな顔だよそれ…。」
「それでいて泣きそうなんだ。海斗は。」
「…。」
「1人で悩まなくていいからさ。なんでも相談してよ。海斗が元気ないと皆調子狂うし。」
「……そんな大層な事してないと思うけど…俺。」
「海斗は周りを元気にしてくれんだよ。」
「そっか?」
「そーなの。だからさ…」



「鈴森君。」
「…あ?」
目が、覚めた。
「もう授業終わったよ?ご飯…。」
「…。」
寝ぼけたまま隣人の顔をじっと見てたらそいつは言葉を切った。
…そうか。さっきのは夢か…。
「懐かしい夢だったな…。」
「え?」
「別に…。」
「あ。そ、そう?ごめん。」
その隣人…もとい栗原はそうむやみに謝ると、弁当を出して「ご飯食べよ?」と言った。
その弁当も自分で作ったって言うんだから感心する。
…俺はもちろん売店のパンだ。
「…パン買ってくる。」
「あ、うん。」
「先食ってて。すぐ聖也と徹も来るだろ。」
「わ、わかった。ごめん。」
「…どうしてそこで謝るかな。」
「ごめ…あ。」
「…だからさ…。」
「海斗が威嚇してんじゃないのか?」
突然話に加わってくんな聖也。
威嚇なんてしてねぇよ。
「あ、上原君。」
「海斗がいいってんだから食おうぜ。」
「え、あ、うん…。」
それでもなぜか栗原はこっちを気にしながら弁当を開けるからとっとと買いに行くことに決めた。
「じゃな。」
「お〜。早く買って来いよ〜。」
席から離れると二人の話し声が聞こえてきた。
…どうしてだろう。
「海斗、まてまて。俺も買いに行く。」
「なぁ、徹。」
「ん?」
「栗原っていつもああなのか?」
「ああって?」
「なんていうか…よく謝るって言うか…どもるって言うか…。」
「ん〜?…いや、俺と話す時はそんなことね〜けど?」
「だよな…。」
じゃあ、やっぱり俺にだけなんだよな。
…栗原は。
「…どうかしたのか?」
「いや?大したことじゃねーし。それよか早くいこうぜ。腹減った〜。」
「あ、まてよ海斗。」


…栗原は、俺に怯えている。