2章



Act.16


新学期になって2週間。
もう新入生も入ってきて、学校はまた騒がしくなった。
そんなある日、俺はまた偶然会ってしまった。
1つ下の後輩に。
なぜか桜の木を見上げているその姿が寂しげに見えて、つい声をかけた。

「えーと、高橋君だっけ?」

突然話しかけた俺に驚くわけでもなくゆっくりとこちらに顔を向けたのは、以前コンビニの近くで抱き合っていたカップルの片割れだ。
あの時は2人とも否定していたがどう見ても恋人同士にしか見えなかった。

「あ、あの時の…。」

俺の顔を見てしばらく怪訝そうにしていたけれど、どうやら記憶を引っ張り出してくれたらしい。

「覚えてたんだ?」
「あんな場面で会った人ですからね。なんとなく忘れられませんでした。」

それにしてはしばらく思い出せなかったみたいだけど。
まぁいいか。
しかし全然照れた様子とかないなぁ。
普通他の人に見られたら恥ずかしいとか感じると思うんだけど。
あ、でも学校の新聞にキスシーンとかスクープされてたぐらいだからあれぐらいじゃ動じないか。

「先輩は、鈴森さんっていうんですよね?」
「え?どうして知ってんの?」

驚いた。
聖也が比較的学校で知れ渡っている事は知っているけど、俺はごくごく普通の生徒だ。
や、聖也だって普通の生徒だけど首席で入学したのが顔よし運動神経よしの一見クールな奴だというだけで名前が知れ渡ってしまった。

「先輩有名ですよ?」

俺の一体どこに有名になる要素が。

「聖也ならまだしも俺はそんな事ないって。」

俺が言うと、その後輩は楽しそうに口元をあげた。

「知らないんですか?その、クールな上原先輩が唯一過保護に接する相手だってあちこちで話してる人沢山いますよ。」
「……は?」
「鈴森先輩の傍にいる時が一番上原先輩の素顔を見られる時だって。」

なんだそりゃあ?
そんな俺の気持ちは顔に出ていたんだろう。
ぷっと高橋君は吹き出すと楽しそうに笑った。
無意識に憮然とした表情をしていた俺に彼はふと尋ねた。

「鈴森先輩は、上原先輩が好きなんじゃないんですか?」

またか!
俺の気持ちはやっぱり周りに筒抜けなんじゃないか!
でもそれを肯定する事も否定する事も出来なくて、同じ質問を彼に返した。

「高橋君だって、この前の…えーと日向先輩?と付き合ってるんだろう?」

すると一瞬驚きの表情が見えたが、すぐ後にはしかめっ面になった。

「なんかムズムズするんで君付けは止めてください。それと、先輩とは付き合ってませんよ。」
「そうは見えなかったけど。高橋く…高橋は日向先輩が好きなんじゃないのか?」
「…それはノーコメントで。」

そして高橋はまた桜の木を見上げた。
今年はなかなか暖かくならなくて、桜の咲く時期がいつもより遅れていた。
昨年の今頃だったらもうほとんど散っているけど、今年はまだ綺麗な花びらを付けている。
なんとなくそれ以上質問を重ねる事が出来なくて、俺もつられて桜を見上げた。

正直俺は、この花があまり好きではない。
確かに綺麗だしふと足を止めて見てしまうけど、その花が散っていくのは見るのがつらい。
それと同時に、大切な何かが手から零れ落ちてしまう気がして。

「…高橋は、桜が好きなの?」

だからふと聞きたくなった。
何か、真剣に桜を見ているこの後輩に。

「好きですよ。昔から。だって、なにか不思議な事が起こりそうな予感がしません?」

まさかこんな答えが返ってくるとは思わなかったけど。
それはどういうことだろう?
不思議な事って、なんだろう。

「…新しい学年になって、何かがワクワクするような感じ?」
「う〜ん。そういうのとはちょっと違う感じですね。」

なんとなく深そうな話だな。
高橋の言う“不思議な予感”というものは。

「…ずっと探しているものを、見つけられそうな気がするんです。」

そう言って穏やかな微笑を浮かべる高橋は、どこか遠くを見ていた。
とても年下とは思えない、大人の笑みで。
でも、その目には強い何かの光が見える。
何かを決心しているような、何かを追い求めているような。

「…高橋は、何かを求めて探しているんだな…。」

ふと零した俺の一言に驚いたような顔を向けてきた。
俺は別に答えを聞きたかったわけではないから、逆にそんな反応を返された事に驚いてしまったけど。

「…そうですね。」

そう言って頷く彼を、強いと感じた。






「あ、予鈴。」

そのまま2人で桜を見ていると、予鈴が聞こえてきた。
どれくらい時間が経っていたのか全く分からなかった。

「そうだなー。」
「…先輩、戻らないんですか?」

気のない返事を返すだけ返して動こうとしない俺に、数歩歩いていた高橋は不思議そうに俺を振り返った。
何だろうな〜。
こんなにも教室に戻りたくないと思ったのは久しぶりだ。

「ちょっとサボるわ。」

そう言って木の根元に座り込んだ俺に、あきれるでもなく高橋は言った。

「分かりました。じゃあ俺はもう戻りますね。」
「お〜。またな〜。」

ひらひらと手を振る俺に軽く頭を下げてまた数歩歩いたかと思うと、ふと思いついたようにまたこっちを振り返った。

「上原先輩とか、探しに来るんじゃないですか?」
「え?そんなこと…。」

…あるかも。

「……。」
「あ、やっぱりそうなんですか?」

さっきからちょっと思ってたけど、高橋って結構思ったことズバッと言うんだな。
すがすがしくて気持ちいいぐらいだよ。

「あ〜。具合が悪いから保健室で休んでるってことにしておこう…。」

そう言ってパコンと携帯をあけた俺に、少し笑うと高橋は今度こそ振り返らずに去っていった。
カチカチとメールを打ち込んでいくうちにこんなのすぐバレる嘘だよなぁと気付いたが、ばれたらばれたでまぁいいかと開き直って送信した。
聖也に送ったらすぐばれそうだから徹に。
送信された事を確認してから俺は携帯をしまうとそのまま木に全身を預けた。


ここのところあまりよく眠れない。
寝ると必ず変な夢を見る。
出てくるのはたった1人の男で、俺に何かを言っている。
肝心なところは何も聞こえてないのに俺はその言葉に驚いたり傷ついたり怒ったりしている。
そして目が覚めると全身汗でびっしょりになっている。

いつからこうなったのかは分からない。
少なくとも3年になるまでは何もなかったはずだ。
確かにたまによく分からない夢を見たりはしたけどこんな毎回夢見の悪さに飛び起きたりした事はなかった。

そういえばもう1つ。
俺は栗原の目を見られなくなってしまった。
ふとした瞬間に目が合うと、硬直したように動けなくなり頭の中で何かがはじけそうになる。

だからかな…。
こんなにも教室に戻りたくないと思うのは。


高橋が好きだと言っていた、俺はあまり好きではない桜を見上げているうちにいつの間にか眠りについていた。






◇◇◇◇◇◇






「…海斗、海斗。」

ゆらゆらと体が揺れているのが分かる。
そして誰かが俺の名前を呼んでいる事も。

「起きろって、海斗。なんでこんな所で寝てんだよ。」

その声は確かに知っているのに、まだ覚醒していない頭ではそれが誰なのか分からなかった。

「……。」

しばらく名前を呼んでいたけれど、起きない俺に諦めたのか静かになった。
そしてまた夢の中に意識を飛ばしかけた時、唇に何かが触れるのを感じた。
始めは軽く触れるように、それでも全く動かない俺に今度はすこし長く。
それが何なのか理解しないうちに、今度はするりと口の中に何かが入ってきた。
それは舐めるように歯や舌に触れていく。

「…ん。」

思わず鼻から声が漏れたとき、やっと自分に何が起こっているのかを理解してはっと目を開けた。

でも、目の前には誰もいなかった。

「…あれ…?」

何だ?今の…。
思わず口に手を当てたとき、近くから声がした。

「あ!海斗やっと見つけた!」

びくっとして振り返るとそこにいたのは徹だった。
走っていたのか、少し息が切れている。

「徹…?どうしたんだよ…?」
「どうしたって…保健室に行ったのに海斗来てないって言うから探してたんだよ!」

言われて慌てて時計を見ると、あれからすでに2時間近く経っている。
久しぶりに変な夢を見なかったな…。
そう思った時、さっきの感触がリアルに戻ってきた。

唇に触れていた感触、口の中に入ってきた濡れた感触。

あれは…夢じゃない…。

「海斗?」
「なぁ徹。さっきここに誰かいなかったか?」

無意識に口に手を当てたままそう聞くと、徹は不思議そうに首をかしげた。

「さぁ…。俺が来たときは誰もいなかったけど…?」
「そ…か。」

じゃあ、さっきのあれは一体誰だったんだ?

「…どうかしたのか?最近なんかいつも眠そうだよな…。夜寝てないのか?」
「や、何でもないよ。ちょっと寝不足なだけ。」
「ふうん?」
「あ〜。なんか寝たら体が軽くなった気がする。」
「じゃ、教室戻ろうぜ。上原も海斗のこと探してんだぞ。」

やっぱりか。
何を言われるんだろうとちょっと肩を落として歩き始めた俺は知らない。

後について歩いている徹が少し笑っていた事を。

…そんな俺たちを少し遠くから見ていた聖也を。