Act.14 記憶の欠片
「……沙知子(さちこ)…隆生(たかお)!」
腕の中に小さい赤ん坊を抱いた女の人は、その言葉に泣き笑顔を見せた。
「…久しぶり…楓(かえで)、龍(りゅう)。」
「い…、一体今までどこに…。私たちずっと心配してたのよ!」
「ごめん…。どうしても迷惑を掛けたくなくて…。」
「迷惑なんて…。私達、親友でしょう?一言くらい言ってくれたってよかったじゃない…!それとも…親友だと思っていたのは私だけだった…?」
「そんな事…!私達は、楓達がいてくれるって分かっていたからこの一年間頑張っていられたの。」
「…沙知子…。」
「沙知子、その…もしかしてその赤ちゃん…。」
大事そうに沙知子が抱えているその赤ちゃんを見ながら、楓は会った時から思っていた疑問をぶつけた。
沙知子は嬉しそうに笑うと、その赤ちゃんをゆっくりと差し出した。
「かわいいでしょう?“海斗”っていうの。男の子よ。」
「…貴方たちの…?」
「そうよ。生まれて5ヵ月目なの。」
「…!すごい!実は私たちも生まれて5ヵ月の赤ちゃんがいるのよ!」
「えっ?」
「“聖也”っていうの。男の子よ。」
「すごい…。」
これが、海斗と聖也の出会いだった。
「海と〜。」
そう言ってとてとてと走り寄ってくる男の子に、“海と”と呼ばれた男の子は満面の笑みを浮かべた。
「せいや〜。」
「海と、遊ぼ〜。」
「うん!何して遊ぶ〜?」
物心ついた時にはもう2人は友達だった。
傍にいるのが当たり前。
隣にいるのが当たり前。
「せいやー。大すきー!」
そういってぎゅーと抱きつくのも、もう日常の一コマだ。
「海とはおれのこと、すき?」
「うん!せいやは?」
「おれもだいすき!なーなー海と、すきあってる人どうしは“けっこん”するんだって。この前テレビでやってた!」
「けっこん?」
「そう。けっこんすると、ずっと一緒にいられるんだって。」
「じゃあじゃあ、せいやとけっこんするー!」
「ほんとう?」
「うん!そうしたらずっと一緒にいられるんでしょー?ならせいやとけっこんするー!」
2人でそうやってじゃれている姿を、親は穏やかに微笑みながら見守っていた。
「この子達は、これからどんな人生を送るのかしら。」
「楽しい事や嬉しい事…悲しい事やつらい事。たくさんたくさん経験して、どのような人間に成長するのかしら。」
この時は、これから先起こる悲劇をまだ、誰も…知らない。
「聖や、男どうしではけっこんできないんだって。お父さんが言ってた。」
「うん。昨日、お母さんもそう言ってた。」
ふとお互いの顔を見合わせると、それぞれの表情に落胆の色が見える。
「でも…。おれたちはずっと一緒だよ。」
「……ほんとう?」
「ホント。おれはずっと傍にいる。だから…。」
「…だから?」
「だから……海斗も、ずっとおれのそばにいろよ。………約束だ。」
その言葉に海斗は嬉しそうに頷くと聖也に抱きついた。
その僅か1週間後。
あの“事故”が起こった。
◇◇◇◇◇◇
「…どうしたの?お母さん、お父さん…。」
「聖也…!早く、着替えなさい。今から病院に行くわよ。」
「病院…?どうして?」
「…あとで、詳しく話すから、とにかく今は準備をしなさい。」
そして聞かされた内容に、聖也は目の前が真っ暗になるという感覚を初めて味わった。
「お願い…海斗、泣か…ないで…。」
「だって…。」
「海斗…笑っていて。あなたは…幸せにならなければ…ならないの…よ。」
「しあわせ…に?」
「そう…。かえ…で、海斗のこと…おねが…い。」
「沙知子…。」
「ごめんね…海斗…。ごめん……泣かないで…。」
最期に見せた笑顔は、海斗の心の奥底に…。
◇◇◇◇◇◇
「海斗がいない…!?」
「朝ここに来たらもう誰もいなくて…!」
「沙智子たちと事故を起こした相手と一緒にいた…?」
「はい。どうやらその男は頭を強く殴られたようで、倒れていました。出血はしていましたが命に別状はなかったようです。その男の証言によると海斗君はその現場を目撃していたみたいで……よほど怖い思いをしたんでしょう…。発見されたときは体を小さく丸めて震えていました。」
「ねぇ…お母さんとお父さんは…?どうして“おれ”…病院にいるの?」
海斗は事故の前後1週間ずつ…計2週間の記憶がない。
その間に起こった事は、今では考えられないほどの出来事だ…。
海斗は、自分が母親の死に際に傍にいた事も忘れてしまった。
だからあの時沙知子さんが言った言葉も覚えていないはずなのに、あれから1度も泣かなくなった。
まるで沙知子さんの言葉に囚われているかのように。
そして、無意識に笑顔を作るようになった。
それは、作り物の笑顔。
それが分かるから、皆…海斗に言う。
“笑え”…と。
◇◇◇◇◇◇
海斗がいなくなった僅かな間にあった事は誰も知らない。
唯一知っている男は今なお刑務所の中にいる。
この先出てくるのかどうかも分からない。
そして海斗本人もその事を全く覚えていないから、“真実”を知るものはいないままうやむやになってしまった。
その真実が明らかになる時は…確実に近づいてきている…。