1章
Act.11
本当はうっすらと覚えていることがある。
両親を亡くした時、悲しみとは別の感情が俺の中に芽生えていた事を。
はっきりとそれが何なのか説明することはできない。
それくらいに霧がかかっている記憶で。
それでも…唯ひとつ言える事がある。
俺がどんな状態であった時も、どんな暗闇にいたとしても、ずっと傍にいて見守っていてくれた存在がいた。
いつも俺を気遣ってくれた。
今思えば、もうずっと昔から俺はあいつのことが好きだったのかもしれない。
◇◇◇◇◇◇
聖也が突っ伏している机に近づいていくと気配を感じたのかその背中が僅かに動き出した。
かまわず前の席の椅子にまたがって座り、聖也の真正面に来るように移動した時ようやくのろのろと顔を上げた。
その目が俺を映した時、僅かに笑ったように見えたのはきっと俺の気のせいだろう。
「…どうした?海斗。」
明らかに寝起きの声でそう囁かれてとっさに声が出なかった。
聖也の寝起きなんてそうそうお目にかかれない。
なぜかこいつはいつも俺より寝るのが遅いくせに早起きで、俺が起こしに行ったことなんて数えるほどだ。
それに加え、起きたばかりのこいつには…なんていうか、色気がある。
もともとカッコいいからよくもてるが、こんな姿を見たら女子はほっとかないだろう。
それくらい寝起きのこいつは反則だ…。
「…海斗?」
「えっ?あ、いや、なんでもない。」
じっと見つめたまま何も言わない俺に聖也は怪訝そうな顔をして再度名前を呼んだ。
思わず変な声を上げた後、まさか『見とれてました。』なんて言えない俺は必死に顔を振ったが、それは逆効果だったみたいだ。
「なんでもないことないだろ。なんか顔赤いぞ。熱でもあるんじゃ…。」
止める暇なく伸びてきた手は、額にくると思いきや首の方にやってきた。
そのまま首筋にそっと触れた手にぞくりとした。
な、なんか触り方が…。
「せ、聖也!どこで熱測ってんだよ…!」
少しでも意識をそらすために言ったその言葉にはっとした聖也は、呆然としたように自分の手を眺めていた。
どこかおかしいその様子を見てようやく俺は当初の目的を思い出した。
「聖也?最近なんかよくボーとしてるけど、なんかあったのか?」
「……あ、いや…。」
やっぱり放心状態でそう言葉を返すと、今度はそのまま俺の顔を凝視してきた。
無言で見つめられると恥ずかしさより居心地の悪さをより強く感じる。
…聖也相手に居心地の悪さなんて感じたことないのに。
「だからなんだよ…。」
うわ、なんか声が上擦った。
そんな俺の気持ちに気づくことなくただひたすら俺の顔を眺めていた聖也は、何かを理解したような…すっきりしたような表情を見せると、笑った。
どこか少年みたいなその笑顔を見るのは初めてで…。
聖也がぼそりと呟いた言葉を聞き逃してしまった。
「そうか…………だ…。」
「え?何だって?」
「…いや、なんでもない。」
聞き返した俺の頭に手を乗せると、穏やかな声でそう答えた聖也はふとどこかを見つめた。
いつになく強い光をたたえたその目に疑問を感じ視線の先を辿ると、そこには口元を僅かに上げてこちらを見ている徹がいた。
その笑みは挑戦的で…それでいて嬉しそうな。
思わず聖也と徹を交互に見てしまうと、まだ俺の頭の上に乗せたままだった聖也の手に力がこもったのが分かった。
「あいつ…。」
そしてそんな事を呟いたかと思ったら今度は反対の手を俺の首に回して、そのまま引き寄せられた。
「っ!」
目の前に見えてるのが聖也の制服だと理解した瞬間、心臓の動きが速くなった。
そして頭だけとはいえ抱きこまれているというこの状況に顔が真っ赤になったのが分かった。
うわ…。
絶対今の俺の顔、誰にも見られたくない…。
「な、何っ?」
そして今度こそ上擦った声に気づかれただろうがそんな事構ってられない。
耳にかかる息遣いがやけに熱くてぞくぞくする。
…た、頼むから早く離れてくれ…!
「なぁ海斗…。約束したよな。」
「え?」
そして聖也から出てきた言葉は予想もしていなかったものだった。
…約束?
俺と聖也が?
「……あ、そうか。海斗は…覚えてないかもしれないけど…。ずっと昔、約束したんだよ。“俺たちはずっと一緒だ”って。」
どこか寂しそうにそう口に出した言葉は、俺には覚えのないものだった。
そんなに記憶力は悪くないはずなんだけど…。
そもそも聖也との約束を俺が忘れること自体あまり考えられない。
ずっと昔のことなら尚更。
昔の俺は、聖也がどこか良い意味で絶対的な存在だったから。
「今思えば、その約束がずっと支えになっていたのかもしれない。」
「…支え?」
なんだか聖也の口から聞くとは思っていなかった単語がポロポロ出てきて、俺は今の状況を忘れ顔を上げた。
そして目に映った聖也の顔はとても穏やかなもので。
栗原が言っていたようなピリピリとした印象は感じなかった。
「……その約束は、まだ続いてるからな。」
「へ?」
「だから、神林はだめだ。」
「はぁ?」
なんでそこに徹が?
「てゆーか話の意味が分からない。」
眉を顰めながらそう訴えるとため息を吐かれた。
…最近お前ため息多すぎ。
「なんだよ。ため息ばっかりつきやがって。言いたいことあるんならはっきり言えって。」
「……。」
つい口を尖らせてそう言うと、なぜか聖也は固まってしまった。
幼い頃からお互いのことを知っているからなのか、こいつの前ではどうも子供みたいな反応をしてしまうことがある。
その度にこいつには苦笑されていたが、今回みたいに無反応なのは初めてだ。
…やっぱりどこか調子が悪いんだろうか…。
「おい聖也?」
「海斗。」
「え?」
「頼むから…誰彼かまわずそういう顔するなよ…?」
「はぁ?」
深刻そうな顔をするから何を言い出すのかと思えば…。
思わず間抜けな声を出してしまった。
そしてようやく聖也は俺の頭を解放した。
「あ〜、なんか首が痛い…。」
ようやく頭の自由を手に入れて安心したのと少し名残惜しい気持ちを振り切るように首をごきごき鳴らすと目の前の男は何故かあきれ返っていた。
「…だめだ。無防備にも程がある…。」
「何だって?」
「……いや…。」
そんな微妙に俺から目を逸らしながら否定されても全く信憑性がないんだけど…。
「…まぁ、そうだよな。海斗は昔からこうだったな。」
そして1人で完結してるし。
「だから何なんだよさっきから。言いたいことがあるんなら言えって何回も言ってんだろ。」
「…そう言うわけじゃ……いや、あえて言うなら…。」
「言うなら?」
「笑ってろ、海斗。」
「…………は?」
そんな突拍子もないことを言う聖也の顔は真剣そのものだった。
だから俺も茶化して言葉を返すことが出来ず、ただただその目を見返すだけで…。
てか、この前徹からも同じような事言われたぞ…?
「なん…俺が笑うと何かいいことでもあんのか?」
何もないと思うけど、確実に。
俺が笑ったからって日本の景気が良くなるわけでもあるまいし。
「誰でも怒ってるより笑ってるほうがいいだろ。」
「そりゃ確かにそうだけど…。」
「…あ。」
「え?」
そんな会話をしていたら、突然聖也が俺の後ろを見ながら小さく声を上げた。
思わず後ろを振り返ろうとしたが、それより早くバシっといい音を立てて俺の頭がはたかれた。
「いてっ!何すん…。」
そして振りかえった先には。
「仲がいいのはいいことだがな。もうホームルームは始まっている。」
いかにも体育教師ですって感じの体格をしている古典兼担任の教師だった。
そしてその横には困ったような顔をしたクラスメイトが…。
「人の席をいつまでも占領してないで早く席に着け鈴森。」
あぁ!
俺が座ってる席の奴か!
短く謝りながら自分の席に着こうと立ったとき、不意に気になって徹の方を見た。
徹はまだ笑みを浮かべてこっちを見ていた。
いや、正確には聖也を見ていた。
さっきの挑戦的な顔のまま…。