浮気 2
拓先輩と喧嘩した。
きっかけは一本の電話だった。
昔、先輩が居候させてもらっていた親戚の人からだった。
後から聞いてみると、その親戚のさらに親戚…先輩のいとこにあたる男の子がいなくなったという話だったらしい。
小さい頃は先輩とも遊んだことがある子で、最近会っていないか、という内容だった。
「もう何年も会っていないから正直顔を見ても分からないと思うんだ。その子の家庭も色々問題があるらしくて、どうも家出をしたんじゃないかって考えているらしい。」
さすがの先輩も気にかかるみたいで、その日はもうずっと上の空だった。
その事に関しては別に問題ない。
むしろ先輩の人間らしいところを見れた気がして嬉しかったくらいで。
でもいつまでもそんな状態でいられると俺も気になってくる。
「先輩、その人の行きそうな所とか分からないんですか?」
「え?」
「いえ、ずっと気になっているみたいなので。昔は同じ家で暮らしてた事もあるんですよね?だったらどこか…思い出の場所とか…。」
「……。」
そんな事を言ってる間に何故か先輩から不機嫌そうなオーラが出て来た。
…なんで?
「…いや、きっとそのうち帰ってくるだろう。」
「……そう、なんですか?」
「そんなに気になる?」
気になってるのは先輩の方でしょう?
「気になるというか…。」
「………要には、関係ない事だ。」
そう言われた瞬間、湧き上がってきたのは悲しみだけではなかった。
久しぶりに感じたその感情は限りなく怒りに近いもので。
気づいたら俺は先輩の家を出ていた。
で。
街をただ歩いていた時に、偶然…本当に偶然会ったのが鈴森先輩だった。
高校の時もお互い見られたくない場面を見てしまったり、偶然中庭で遭遇したり、そういうのがきっかけでよく話すようになった人。
初めて会ったのはまだ俺が高校一年の時だった。
鈴森先輩は一つ上の先輩で、色々話しを聞いてもらった。
その時俺はすでに、拓先輩の事が好きで…でもまだその気持ちに答えられないでいた。
そして何も知らない優と会ったのもその年で。
涼夜さんと優に幸せになってほしくて…そのためなら何でもやると決めていたのに、ふとその決意が揺らぐ事があった。
本当にこれが、二人の為になるのか。
本当に二人はこの先出会う事が出来るのか。
俺をずっと待つと言ってくれた先輩。
でも、もしその先輩を失ってしまったら、俺はどうなるんだろう。
色々な不安を抱えて…でも誰にも言う事が出来なくて。
そんな時、俺の気持ちを軽くしてくれたのは鈴森先輩だった。
もちろん詳しい事を話したわけではない。
話しても信じてはもらえない事だと思っていたから。
今でも鈴森先輩は俺が何に悩んでいたのかなんて知らないだろう。
でも。
何も知らないはずなのに、鈴森先輩は俺が欲しかった言葉をいつもくれた。
それは意図して言った事ではないみたいだったし、先輩自体、いつも何かに悩んでいたようで、ついポロリと口からこぼれた様な言葉ばかりだったけど。
俺がその言葉に救われた事に変わりはない。
俺にとって鈴森先輩は“ただの”先輩ではなかった。
もちろん拓先輩に感じている気持ちとは全く違うし、鈴森先輩にも付き合ってる人はいる。
でも、そういうのじゃなくて。
傍にいて安心する…親友とかとはまた違う…。
表現できない存在になっていた。
だから鈴森先輩が卒業してしまってからも時々連絡を取ったりしていた。
それを拓先輩も知っているからなのか。
俺が鈴森先輩と会ったり…会話の間にその名前が出るだけでも不機嫌になってしまう。
それだけならまだしも直接二人が会ってしまったら、拓先輩の周りだけ恐ろしいほど空気が冷たくなる。
始めは鈴森先輩も引きつった顔をしていたけど最近はそういう事にも慣れてしまったらしく、むしろその状況を楽しんでいる。
優は俺を肝の据わった奴だとよく言うけれど、鈴森先輩も相当なものだと思う。
「しかし、ホント身長伸びたよなー…高橋。」
そんな事を考えながら鈴森先輩を引っ張って歩いていると、しみじみとそう呟かれた。
「あー…まぁ、確かに高校の時に比べたら…結構伸びましたね〜…。」
「だよなー。あの時はまだ俺と同じくらいか少し低いくらいだったよな?それがどうしてこんな事に…。」
そんな切なげにため息をつかれても…。
「今だって大して変わらないじゃないですか。」
「いや!どう見ても俺より高くなってる!俺なんか高校の時から大して伸びなかったんだぞ!1人でそんなに高くなりやがって!」
心の底から悔しがってる先輩を見て、高校の時、この先輩の周りにいた人たちの事を思い出した。
本人は全く自覚していなかったけど、鈴森先輩はモテていた。
なんとなくそれも分かるような気がする。
優もそうだけど、どこか危なっかしい所がある。
目を離していると何かしでかしそうな…どこかに行ってしまいそうな…。
「あーあ。なんか男らしくなっちゃったなぁ、高橋は。」
「…これでも一応男なので。」
そして、鈍感なのかと思えば鋭い感覚の持ち主だったりする。
あの人たちは、きっとそんな所に惹かれたんだろう。
「しかし日向先輩と喧嘩ってめずらしいな。俺が知る限りでは初めてだよな?まぁそんなに二人の事に詳しいわけではないけど。」
「…そういえば初めてですね。」
喧嘩といっても俺が一方的に怒ってるだけだけど。
「日向先輩が高橋に対して口もきかないほど怒るって事が想像できないから高橋が何か怒ってるだけなんじゃないの?」
「………。」
どうしてそういう事には鋭いんだろう、この人は。
自分の事に関してはとことん鈍いのに、人の事になると恐ろしいほど鋭くなる。
そうです。
俺が勝手に怒ってるだけです。
だってあんな言い方はないと思う。
そりゃ俺は居なくなったっていうその人に会ったことはないし、拓先輩から聞いた事があるわけでもない。
今日初めて聞いた事だし。
でも、先輩のいとこで、あんな上の空になるほど心配になる相手なんて知ったら。
いくら俺だって気になるのが当たり前だ。
なのに…。
……………。
…あぁ。
あの時の怒りが再発してきた。
「先輩、口は災いのもとってよく言いますよね。」
「え?」
拓先輩譲りの笑顔を張り付けてそう言うと、一瞬鈴森先輩の体が固まった。
最近涼夜さんや優からよく言われる。
要はだんだん拓先輩に似てきてるって。
そうではないと思うんだけど。
これはもともと俺の一部だったわけだし。
ただここ何年かは涼夜さんと優の事でいっぱいいっぱいだったから中々自分を外に出す事がなかったってだけで。
まぁつまり何が言いたいかっていうと。
俺は再発したこの怒りを目の前の先輩にぶつけてしまうことにした。
もっと簡単に言うと、自棄になった。
「俺と、浮気してくれるんでしょう?」
「…え〜と、高橋?」
たまたま近くにあった公園に先輩を引っ張っても、先輩からはなんの抵抗もない。
驚いてるだけなのかよく状況を把握し切れてないのか。
俺がこういう行動に出るとは思っていないというのが一番の理由なのかもしれない。
「この公園って、結構周りから死角になる所が多いんですよね。」
「あぁ…そうだけど…って、高橋?」
「何ですか?」
「…どうした?」
たった一言。
たった一言言われただけなのに、急に体から力が抜けた。
その言い方は、高校の時によく言われた感じに似ていた。
先輩はあの時から変わっていない。
そう思ったら、なぜかすごく安心した。
「…なんかよく分からないけど、高橋落ち込んでる?」
「そう見えますか?」
「見える。」
落ち込んでる…。
そうなのかもしれない。
先輩から突き放されてしまったように言われたあの言葉に傷ついたのも確か。
そして怒りがわいてきたのも確か。
でも時間がたって冷静になってくると、それとはまた違う感情が出て来たのも、確か。
「…じゃあ、そうなのかもしれません…。」
どうしてこの人はそんなに人の感情に敏感なんだろう。
本人さえ自覚していなかった事を意図も簡単に言い当ててしまう。
「やっぱりあの人たちは、先輩のそういう所にやられたんでしょうね。」
「え?何?」
「いえ、何でもありません。で、鈴森先輩、どうしましょう?」
「…どうするって?」
「だから、俺と浮気、してくれるんでしょう?」
「……………は?」
にっこり笑ってさっきもそう言ったはずなのに、どうしてそんな驚いた顔をするんだろう?
「…え、あれ?冗談だよ…な?」
「俺は本気ですけど。」
もちろんもうそんな気持ちはなかったけれど。
こんなに驚いてる先輩を見てると、何かふつふつと悪戯心が湧き上がってきた。
「どうしてわざわざこんな周りから死角になるようなところに先輩を連れ込んできたと思ってるんですか。」
「つ、連れ込むとかって表現おかしいから!」
くるくると変わるこの表情が、見てて飽きない。
「ていうか、高橋なんか性格変わってない!?」
「そうですか?俺はもともとこんな性格ですけど。」
「…高校の時、高嶺の花とか言われていたあの頃の可愛い高橋は一体どこへ…。」
「俺、可愛かったですか?」
「う〜ん。まぁ顔はもともと綺麗だからな。俺より小さいくらいだったあの頃は無条件に可愛いって感じが…。」
「そういえばさっき、俺の事男らしくなったとか言ってくれてましたね。」
「ん?ん〜。高校の時に比べたら…て、高橋?なんか近くない?」
「え?だってここで何もしなかったら先輩を連れ込んだ意味がないじゃないですか…。」
「だからその言い方おかしい!ってか、どうして俺相手にそんな色気出してんだお前は!」
「痛っ。」
さすがにこれ以上は許してもらえなかったみたいで、バシッと頭を叩かれてしまった。
「ったく。日向先輩は何やってんだよ。大体高橋もふらふらしてる時間があるんだったらさっさと仲直りしてこい!」
「はぁ。仲直りですか。」
「何なんだ。そのやる気のない返事は…。」
「いえ、やる気がないわけでは…。」
勢いよく飛び出してきてしまった手前、あっさり戻るのもなんていうか…。
悔しいというか…。
「大体後で辛い目に会うのはお前なんだからな。」
「…何でですか?」
その時、鈴森先輩がふと視線を俺の後ろにずらした瞬間、とてつもなく嫌〜な予感がした。