浮気  3





今、この瞬間は絶対に後ろを振り向いてはいけない。
直感的にそう思った。
それは間違っていないはずだ。
だって、背中がすごく寒い。

「相手が俺じゃなかったら確実に今、高橋の色気にやられてますよ。」
「…分かっている。」

あぁ、やっぱり。

「こいつを簡単に野放しにしないで下さい。」
「……言われなくても手綱を離す気はない。」

そう言って後ろに現れた人物は、怖いくらいの力で俺の腕を掴んだ。
…今日はもう、生きていられないかもしれない。

「俺をからかった罰だよ、高橋。しっかり反省しろよ〜。」

拓先輩に引きずられながら公園を後にする俺に、鈴森先輩のその言葉がやけに耳に残った。





そして。

その後どうなったかというと。
当然のごとく拓先輩にはこってりとお仕置きをされた。
丸三日はベッドから動けなかったんじゃないだろうか。
…先輩を本気で怒らせると体が持たない。

そしてちゃんと話をする事が出来たのも三日後だった。

「要がすごく興味があるような言い方するから、話をしたくなかったんだよ。」
「…そりゃ興味も湧きますよ。先輩がずっと上の空になるほど考え込んでる相手ですよ?気になるのが当たり前じゃないですか…。」

先輩はふっと笑うと、俺を抱きしめながら…

「で、どうしてそれから浮気になるのかな?」

と、言った。

「……いえ、あれは、鈴森先輩の反応がおもしろかったのでつい…。」
「つい、ね…。」
「先輩があんな言い方するのも悪いんですよ。関係ない、なんて聞いたときは悲しくて、腹が立って…。今考えるとあの時の自分の行動は冷静ではなかったですけど。でも、あんな事しても鈴森先輩が本気にならないって分かってましたし…。」
「…やっぱりちょっと目を離すと要は勝手にフラフラとどこか行ってしまいそうな気がするな…。」
「……。」

そういえば高校の時に、そんな事を言われた気がする。
俺って、浮気症だと思われてる?

「今度首輪でも買ってこようか?」
「………冗談ですよね?」
「冗談言ってるように見えるかい?俺は本気だよ?」

なんかデジャヴ…。
それに先輩の場合、たとえ冗談でもそう見えないのが怖いんですが。

まぁ、でも。

「拓先輩になら、別に付けられてもいいですよ?」

冗談でも何でもなく、ただ本当にそう思ったから言っただけなんだけど。
先輩は面白そうに笑っただけだった。

「要のそういう所、本当に好きだよ。」






◇◇◇◇◇◇






「このバカップルが!!」
「……鈴森先輩からそんな台詞が飛び出してくるとは予想外でした。」

要の浮気騒動から二週間後。
俺と涼夜は再び偶然、二人の姿を見かけた。
要と日向先輩の間にあった事はあの後(何故か連絡がついたのは三日後だった)に詳しく聞いた。
単なる痴話喧嘩という事が分かって俺は心底安心した。

そして今。
俺と涼夜はファミレスにいる。

「…優さん。もうこの二人を追う必要はないと思うんですが…。」
「いや、なんか気になっちゃってさ。」

たまたま前を通ったファミレスに入っていく二人の姿を見つけたのは涼夜だ。
もちろん要が浮気をしてると疑ってるわけではないけど、どうしてか妙に気になって…また涼夜を引っ張ってきてしまった。

「何がそんなに気になるんですか?」
「…何だろう、分からないんだけど…。なんかモヤモヤする…。」

言葉では言い表せないモヤモヤを、ここのところずっと感じている。
あの二人を見ているとその気持ちが大きくなるっていうか…。

「高橋、仲がいいのはよく分かったから。頼むからもう痴話喧嘩に俺を巻き込むのはやめてくれ。」
「はぁ。すみませんでした。」
「……全然すまなく思ってないだろ…。」
「いえ、思ってますけど…。そこまで巻き込んだ記憶もないような…。」
「あの後、どう調べたのか知らないけど!日向先輩から連絡があったんだよ!」
「え、鈴森先輩にですか?」
「…俺にならまだよかったよ…。」
「………あ〜…もしかして…。」
「…………あいつのあんな顔はホンット久しぶりだった…。」
「それは……すみませんでした…。」
「ホント…数日動けなかったんだからな…俺…。」

そんな、よく分からない会話をずっと二人は続けていた。
その間には…前、俺が疑ったような変な雰囲気はカケラもない。
でも、先輩後輩以上の何かがあるような気もして…。
なんだろう、この気持ち。
すごく、おもしろくない。

「なぁ涼夜。」
「何ですか?」

それ以上二人を見ていたくなくて、俺は涼夜の方に向き直った。
涼夜は優雅にコーヒーを飲んでいて。
こんな気持ちになっているのは俺だけなんだと思った。

「なんか二人見てると、変な感じがする。」
「変な感じ…ですか?」
「モヤモヤするっていうか、面白くないっていうか。なんだろう、これ。」
「…面白くない…ですか。」
「うん…。」

あぁ。
なんかこの、自分の気持ちを持て余してるようなのって、涼夜と付き合い始める前に感じた気持ちに似てる。
あの時もずっと変な気持ちを抱えたまま毎日を過ごしていた。

「それは…俺に嫉妬してるのか?」
「……えっ!?」

突然聞こえた声に驚いて振り向くと、さっきまで要と話していたはずの鈴森さんが俺の隣に座っていた。

「え、あれ!?どうしてここに…!」
「あんなずっと睨まれてたらいくら俺でも気になるって…。」

苦笑しながら言われたその言葉で、さっきまでずっと鈴森さんを睨むように見ていた事を知った。
完全に無意識だった。

「今度はどうしてここにいるの?二人とも。」

そう言いながら要は涼夜の隣に座った。
ちゃっかり前に置いてあるポテトフライをつまんだりしている。

「いや、別に意味はないんだけど…。」

まさか二人を見てるとモヤモヤするからまた後を付けてきました、なんて言えない。

「二人を見てると面白くないそうだぞ。」

なのに、涼夜はなんのためらいもなくそんな事を言ってしまった。
ちょ、本人目の前にしてそれは失礼だろー!

焦った俺を尻目に、鈴森さんは一人で笑いだした。

………それはそれで、何というか…恥ずかしいというか…。
…なんで?

「だから、えっと、なんだっけ、優くん?」
「え、あ、はい。俺ですか?」
「そうそう。君は俺が気に食わないってことだろ?」

気に食わないって、そういうわけじゃ…!

「どういうことですか?」
「俺に嫉妬してたってことだよ。」

要の質問にそう答える鈴森さんだけど…さっぱり分からない。
嫉妬って、俺が?
何で?

「俺が高橋と仲良くしてるからヤキモチ焼いちゃったんだよ。自分以外に仲のいい奴がいるってことが、嫌だったんだろ。」

…つまり、それは、要が俺以外にこんな仲良くする人がいるってことが、嫌だったと。
……あぁ、でもそう考えると、確かに前二人を見かけた時…要が普段見ないような笑顔を見せた時。
この時と同じ気持ちを感じた様な気がする。
これは、嫉妬だったのか。

…でもそれが分かってしまうと、猛烈に恥ずかしさが湧き上がってきたんですが…。

だって…俺は子供か?

「別に恥ずかしい事じゃないですよ。」

涼夜はそう言ってくれるけど…。
ううう…。

「……。」
「鈴森先輩、どうかしたんですか?」

要のその声にふと顔を上げると、いつの間にか笑いをおさめていた鈴森さんが不思議そうに涼夜を見ていた。

「…何だ。」
「いえ。」
「………。」

涼夜が視線で威嚇してる威嚇してる。
その視線に負けたのか、鈴森さんはため息をつくと涼夜の方を見ながら言った。

「別に大したことじゃないんですけど。どうして優くんにだけ敬語で話してるのかな、と。」
「………。」
「………。」
「………。」
「あれ?俺何か変な事言った?」

つい皆無言になってしまった。
だって…なんていうか、一番説明しにくい質問を…。

「…まぁ、色々あったんです。」

要はあっさり一言で片づけてしまった。
もちろんそれで納得はしていないはずなんだろうけど、鈴森さんは一言、ふぅん。と言っただけだった。

「まぁ、誰にでも言いたくない事はあるもんな。」

鈴森さんがポツリと切なげに笑いながらそう言った時、急に携帯の着信音がした。
慌てて携帯を開いたのは鈴森さんで。

「うわっ、やばい!俺、この後用事あったんだった!」
「あ、鈴森先輩。今日はお詫びに俺が奢るので、お金はいいですよ。」
「え、まじ?じゃあ遠慮なく!あ〜そうだ、高橋!さっきも言ったけどもう俺を痴話喧嘩に巻き込むなよ!」
「努力します。」

鈴森さんは要とのそんなやりとりをしながらおそらくメールだろうものを見て、ふわりと笑った。
その笑顔がとても柔らかかったから、つい聞いてしまった。

「もしかして、彼女ですか?」

それを聞いた鈴森さんはまた違う笑顔を見せた。
それはすごく不思議な笑顔で。
それでいて綺麗な、目が離せなくなるって、こういう事を言うのかなっていう表情。
思わずその笑顔が可愛いとか思ってしまった俺は、この人の武器はあの笑顔なんだという事を悟った。


そしてその時の俺の様子をずっと見ていた涼夜に、恐ろしい笑顔で迫られて…その夜はずっと離してもらえなかったわけだけど…。

それはもう少し、先の話。










「……ねぇ、優。」
「え?」

鈴森さんがいなくなってしばらくして、要は俺に言った。

「変な意味じゃなく、俺は優の事、好きだよ。」
「…要?」
「正直俺も、優の周りに知らない奴がいたりすると、おもしろくないし。」
「…え。」

驚いた。
まさか要がそんなこと感じていたなんて。

「俺にとっての親友は、優だけだからね。」

なんの躊躇いもなくそう言ってくれる要が、本当に好きだ。

「…うん。ありがとう。」

そして、どうして要が浮気をするかもしれないなんて一瞬でも考えてしまったのかな、と後悔した。
何があっても、俺は要の事を信用しようと、力になろうと思っていたのに。

「…俺も。親友だと思ってるのは、要だけだよ。」

その気持ちだけは、ちゃんと伝わればいい。心から。



要は俺に、柔らかな笑顔を見せてくれた。



End.


























その後




要はどうも気になるらしい。

「ところで先輩。例の親戚の子は見つかったんですか?」
「…いや、まだ見つかってはいないみたいなんだよね。」

俺と要の喧嘩の原因になった親戚の家出騒動。
まだ俺が中学の頃。
ほんの短い間だけ住ませてもらっていた家の、俺から見たらいとこにあたる奴がいなくなった。
あの家族も色々問題があった。
母親は夫と1人息子を捨てて家を出た。
俺が初めていとこに会ったのはその頃だ。
まだそいつは母親がいなくなった真相を理解できないような年頃で。
無邪気に遊びまわっていた記憶がある。

次の記憶は俺が中学生になってから。
そいつはまだ小学生だったが、雰囲気がまるで変わっていた。
そしてもっと驚いたのは父親と息子の間に流れる雰囲気が冷め切っていた事。
他人と言ってもいいくらいに。

そして、少し観察していたらすぐに分かった。
父親に、男の影が見える。
子供ほったらかしで遊びまわっているようだった。

俺がその家にいたのは僅か2ヶ月の事だったからそれから何があったのかは分からない。
でも、起こるべくして起こった事だろう。
息子がいなくなってから今までの自分の行いを反省したってもう遅い。

ただ、家を出たというあいつがどこでどうしているのかは気にならなくもない。

あいつからは、俺と同じ匂いがする。

「先輩?」

ふっと意識を戻すと、要が俺を覗きこんでいた。
あいつが気になる事は否定しないが、だからと言って要を蔑にするなんて論外だ。

「大丈夫だよ。家出したっていっても、もう高校になるくらいの年齢だからね。」
「…そう…ですか?」
「要にはあいつのことより俺の事を考えてほしいね。」

そう言って抱きしめると、要が笑った気配がした。