浮気 1
「優さん、あれって、要じゃないですか?」
「え?」
日曜日。
天気がいいから買い物でも行こうかと涼夜と歩いていると、道路を挟んだ反対の歩道に涼夜が誰かを見つけた。
涼夜の指差した方向に視線を向けてみると、見知った後ろ姿。
「ほんとだ。かな…。」
名前を呼ぼうと声を張り上げた時、フと要は横を向き、笑った。
その笑顔に見覚えがあって、その先にはきっと“彼”がいるんだろうと思った。
涼夜と顔を見合わせて“彼”に見つかる前に逃げようと頷き合った時、要が見ていた方向から見たことのない男の人が現れて、思わず動きが止まってしまった。
「…え、誰?あれ…。」
てっきり日向先輩がいるんだと思ってたのに。
涼夜を見上げても首を横に振るだけで、誰なのかは分からないみたいだった。
というより、涼夜、すっごく驚いてる。
そうこうしているうちに二人が歩き出してしまったので、俺達は自然と後を追った。
二人が入ったのは、普通のレストランだった。
俺と涼夜も少し離れたところに座って、適当に注文した。
俺はご飯よりあの二人が気になる…。
「…優さん、そんなに見てると気づかれますよ?」
涼夜がそう忠告してくれるけど、だって、気になる!
あの要が、日向先輩以外の人に、あんなほっとしたような…あんな安心しきった笑顔を見せるなんて…。
俺にだってめったにあんな笑顔は見せないくせに…。
まさか…要に限ってそれはないとは思うけど…。
でも…まさか…。
「……浮気…?」
「…………。」
よくよく見るとあの二人、距離がすごく近いような…。
親密そうに何かを話してる…。
「…疑いたくないけど……怪しい…。」
「……。」
要と日向先輩、実はあまりうまくいってないのかな…。
いや、でも二人とも超がつくほど一途だし…。
でも要が浮気…?
そんな……。
もし…。
もし涼夜にそんなことされたら…。
思わずそんなことまで考えてしまった。
…考えるだけで悲しくなってくる。
「…涼夜…俺は絶対、涼夜を裏切らないからね!」
涼夜の方を振り向いてそう言うと、少し驚いたように目を見開いてから、口元を上げた。
「分かってます。」
…何か今、ドキッとした。
あぁ、やっぱり格好いいなぁ。
ずっとこのまま一緒に…。
「…やっぱり、優と涼夜さん。」
「え?」
二人で笑い合っていたら、さっきまで向こうのテーブルにいたはずの要が横に立っていた。
「なんかさっきからガン見されてるって言ってたからもしかしてと思ったんだけど…。何してるの?」
要のその言葉を聞いて涼夜がやっぱりって顔をした。
……バレバレでしたか…。
「やっぱり知り合い?」
要に連行された先にいたのは当然ながら、さっきまで要と話していた人で。
見た感じ同じくらいの年で、笑顔が柔らかい人だった。
「すみません。こっちが優で、隣が優の彼氏の涼夜さんです。」
迷いなく彼氏と紹介した事に驚いたのは俺と涼夜だけで、男の人は「あ、そうなんだ。」と当たり前のように頷いていた。
「二人は桜が好き?」
そして問われた質問は全く意図の見えない内容。
な、なんだか一瞬にして毒気を抜かれた…。
「桜…ですか。」
「そう。桜。高橋は好きって言ってたから二人もそうなのかと思って。」
「涼夜はどうか分かりませんが、俺は好きです。」
俺と涼夜を引き合わせてくれたのは桜だ。
その桜を好きになるのは当然のように思える。
「そうなんだ。実は俺はあまり好きじゃないんだ。なんかさびしい気持ちにさせるから。」
「…さびしい?」
「花弁が散っていくときの、あのなんとも言えない感じが…。」
「あぁ…、そうですよね。確かにさびしくなりますよね…。」
「うん…。ところで俺は何であんなに敵意むき出しで見られてたの?」
「要が浮気してるんじゃないかと思っ…て……え?」
思わず質問に答えてしまった後に口を押さえてももう遅い。
だって、なんかしんみりと寂しい、なんて話をするから…まさかいきなりあんな質問されるとは思わなかった!
「優…。」
要がため息をつきながら頭を抱えたくなる気持ちが、嫌だけど分かる…。
俺って単純…。
「浮気かぁ…。」
そしてそんな俺たちの反応を見て笑っていた男の人は、ぽつりと呟いたかと思うと、しばらく何かを考え始めてしまった。
そういえば俺たちの紹介はしてもらったけど、この人の事は何も聞いてない。
要が敬語で話してるから年上なのは間違いないとは思うけど、一体どんな人なんだろう。
要に聞こうと口を開きかけた時、何か考え込んでいた男の人が衝撃的な発言をした。
「高橋、俺と浮気してみる?」
「…は?」
思わず声を出してしまったのは俺だけで。
男の人は本気なのか冗談なのかよく分からない表情だし、要に至ってはなぜか真剣な顔になっている。
「…ちょっとまて。二人は一体どんな関係なんだ?」
で、そんな空気を破ってくれたのは涼夜のその一言だった。
「あ、そうですね。そういえば俺の事は何も言ってなかった。俺は鈴森海斗。高橋とは同じ高校で、高橋は俺の後輩………になるんだよな?」
「後輩以外の何者でもないですが…。」
「いや、たまに高橋が年下に見えなくなる時があるんだよ。まぁ、俺の精神年齢が低いって可能性もあるけど。」
「あー…。」
「いや、そこ否定するところだから!」
…どうしてこの二人が会話すると緊張感がなくなるんだろう…。
「…でも、鈴森先輩となら浮気できるかも…。」
なくなった緊張感は要のその一言で再びやってきた。
まさか要の口からそんな言葉が飛び出してくるとは思ってなかった。
さすがの涼夜も言葉が出ないみたいで、俺と涼夜は二人で唖然としてしまった。
「俺と高橋だとどっちがどうなるんだろう。」
「それは…想像できませんね。」
「ま、物は試しだし。」
どっちがどっち…?
物は試し…?
「ちょ、ちょっと待って!二人とも本気!?」
「本気だけど?」
あわてて聞いた俺の質問に、至極真剣に要がそう答えた。
「……日向先輩はどうするの…?」
「……。」
ごく当然のようにそう聞いただけなのに、要の周りに不機嫌オーラが漂いだした。
何その反応…?
「あぁ……大丈夫。優は心配しなくても大丈夫だよ。」
不気味なくらいの笑顔でそう告げると、要は鈴森さんの腕を引っ張って歩き出してしまった。
「うわっ、高橋?」
鈴森さんにとっても予想外の事だったらしく、驚いたように要を見ている。
そりゃそうだよね!要のそんな行動は俺も涼夜も初めて見る。
「ちょ、要どこ行くの!?」
「今からデートするから二人とも邪魔しないでね。」
はいそーですかなんて言えるわけないじゃん!
慌てて俺も二人に続こうと席を立ったんだけど、置き去りにされた伝票が視界に入ってしまった。
「俺に払えってこと!?ちょっと要!!」
俺の叫びは二人には届かなかった。