桜の木の下で
9.
あの、桜の木の下で。
涼夜が部活に行っている間、俺はカナタと二人で会っていた。
そして今日…俺は覚悟を決めてきた。
「カナタ…。俺の話を聞いてくれる?」
俺と涼夜が出会って1ヶ月。
俺たちがカナタと出会って約2週間。
初めて涼夜と抱き合ったあの日からもう何度も体を重ねた。
俺の体はもう涼夜を忘れないだろう。
そしてダルイ体を引きずってカナタに会いに行くと、何故かいつもそのことを見抜かれてからかわれてしまう。
その度に嬉しそうに、楽しそうに、時には心配そうに俺達のことを見ているカナタに、こんな事を頼んでいいのか分からなかった。
だけど、他にいないから。
こんな事話せる人は、カナタしかいないから。
「……いいですけど…。どうしたんですか?」
カナタにも迷惑かけてしまうけど…。
どうしても、涼夜には言えないから…。
「俺は……きっと、未来の人間だ。」
「……………え?」
俺の突然の言葉に、さすがのカナタも固まってしまった。
そりゃそうだろう。
突然未来から来ましたなんて言われても、頭のおかしい奴にしか見えない。
「……前、桜の話をしてくれただろう?」
「はい…。………でも、あれはただの言い伝えで…。」
「カナタ。俺と涼夜は、クリスマスイヴの日…同じ時間に、この、桜の木の下で、……付き合ってた人に振られてる。」
涼夜が言っていた。
俺があの日この桜の木の近くにいたのは、その直前にそこで仁に振られたからだ、と。
…偶然、同じ時間だった。
「……同じ…体験を…?」
「そう。その時俺は…あるはずのない桜の花びらに包まれた気がしたんだ。そしてその後…すべてを忘れてこの桜の木を見ながら歩いていた。」
あの日…。
付き合っていた奴…高橋要――やっぱり俺は男と付き合っていた――は、俺をこの場所まで連れて来た。
ここは、俺と要が付き合い始めた場所…俺が要に告白をした場所だった。
要はその時、俺にすぐオッケーをくれた。
うれしかった。
俺と要は高校の時に初めて会って、それからずっと友人だった。
高校といっても違う学校だったが。
偶然公園で要を見た俺が声をかけて、知り合った。
あのやさしい空気や穏やかな時間は癒しだった。
…そういえば、カナタととてもよく似ている。
顔もそうだが、その雰囲気などはそっくりだ。
きっと要の中学時代はこんな感じだったんだろうと想像できるくらいに。
でも要はこの桜の木の事を知らなかったから…。
そしてあの告白以来、何故か決してここには来なかったから、今度二人でここに来る時は別れる時だろうと思っていた。
「君にそっくりの顔で、高橋要という男。」
カナタは目を見開いた。
「俺は、本当に、彼のことが好きだと思っていたんだ。…あの時は。」
「…あの時?」
「そう。今思うと、あれは恋というより、憧れだったのかもしれない。同級生なのに、他の誰とも違っていたあいつに、俺はずっと憧れていた。」
それは考え方であったり、強い心を持ってることだったり。
俺はそれに何度も救われた。
「――…。」
「でも、涼夜に対するこれは“恋”だ。いや、もしかしたら……むしろ、“愛”なのかもしれない。」
「愛……。」
ここで初めて知った感情。
「あ、あいつには内緒だぞ?」
「う、ん。」
「……要にも、悪いことをしてしまった…。」
もしかしたら要は俺の気持ちを知っていたんじゃないだろうか。
俺が感じているのは、本当の恋ではないと。
「…違う時の中で生きている人たちが出会ってしまったら…大変だと思わないか?」
「大変?」
「そう。下手したら歴史が変わってしまうかもしれない。」
「……ぁ。」
「だから分かったんだ。ここに来た時…俺は記憶を無くしていて…きっと、思い出してしまったら、俺は、帰らなくちゃいけない。」
本来あるべき場所へ。
そしてもし記憶が戻ったまま元の場所へ帰っても、未来の人間なら…歴史が変わってしまう事もないから…きっと俺は、未来から来たんだろう。
「まぁすべて俺の推測だからなんとも言えないけど…。それにすべての記憶が戻った訳でもない…。ま、少なくともこの時代と俺の時代、50年100年とかの時差はないと思うけど。」
「……。」
「…記憶が戻ってきてることも、俺がこの時代の人間じゃない事も、涼夜には…言えない。」
怖いんだ。
「…あなたは、言うべきだと、思う。」
「うん。」
「涼夜さんは、きっと、あなたを探すよ。」
「……うん。」
「絶対悲しむよ。突然いなくなったら、絶対に…!」
「………うん。」
「なら…どうして?」
何故だろう…どうしよう…カナタが泣いてしまいそうだ。
「俺は…最初から最後まで、わがままなんだよ。」
「……。」
「別れを言うのがつらいから涼夜には何も言えない。信じてくれるのかどうかも分からない。それに、たとえ信じてくれたとしても、また会えるとは限らない。また会えたとしても、気持ちが変わっていないとは言い切れない。だから、涼夜にはこの事は言わないで。涼夜には、もっと他の、幸せな人生があるかもしれない。これから他の人と愛し合うかもしれない。だから…」
「今の…今の涼夜さんは、あなたといる事が幸せなのに…。」
「……ありがとう、カナタ。」
俺は、もしかしたらこの気持ちさえも桜の力なのかもしれないと思ってしまった。
でも、これだけは、疑ってはいけない気持ちなのかもしれない。
だって俺は…。
「俺は、あいつを、愛してるからね…。」
俺が笑いながらそう言うと、カナタは本当に泣き出してしまった。
静かに、声も出さずに。
「ごめん。カナタ。こんな事、他の誰にも話せないから…。」
カナタは静かに首を振った。
そして何かに気付いたように、ふと動きを止めた。
「今日で…1ヶ月?」
「……。」
「…優さんと涼夜さんが出会って、ちょうど今日で…1ヶ月…。」
カナタも気付いてしまった。
もうほとんど時間がないということに。
「あと…10分もないんだ。」
「っ…。」
「…俺と涼夜が同じ体験をしたあの時間は…もうすぐなんだ。」
もう会えないかもしれない。
むしろ会える可能性のほうが低いと思う。
「今までありがとう、カナタ。俺は…。」
「会えます。」
俺が別れをいおうとしていたことを察したのか、カナタは強い言葉で、言った。
「絶対に、また会えます。…覚えてますか?物語を…“同じ時、同じ場所で、同じ体験をした者は…時をも越えて巡り会う。出会った二人の縁は…決して切れない。”」
「…。」
「切れないんです。あなたと涼夜さんは、絶対に。」
「カナタ。」
「また、必ず会えます。だから……諦めないでください。」
また…会える?
そう…だろうか。
「…涼夜は、俺を、許してくれるかな…。」
「涼夜さんは優さんにべた惚れです。」
真面目な顔をして言い切るカナタがおかしくて、ついふきだしてしまった。
そして思い出した。
俺といる時、涼夜はよく笑っていた。
「なぁ、頼んでもいい?」
「何を…ですか?」
「伝えて欲しい。“待っててくれ。”」
「それは…涼夜さんに、ですよね?」
何かを確かめるように、カナタは俺を見ている。
きっとカナタなら、信じられる。
「何も言わずに消えてしまう自分を許してくれるなら、あの桜の木の下で待っててくれ。」
俺は必ず、そこに行くから。
いつまでも、待ってるから。
そう告げた俺に、しっかりとカナタが頷いた瞬間、目の前に桜の花が舞った。
咲くはずのない、桜の花びら。
それが俺を包み込んでいく感覚。
視界が桜で埋もれる直前、見た気がした。
何かを決意した顔でこちらを見つめているカナタを。
そしてまた…。
世界が、揺れた。
あの1ヶ月間で一番思い出すのはやっぱり涼夜の事だ。
あの優しさに救われたし、あの激しさに惹かれた。
俺に、本当の想いを教えてくれた。
俺は彼に何かを与える事が出来たのだろうか。
最後の最後まで甘えっぱなしで…俺は、本当にどうしようもない奴だったな。
もし叶うなら、また会いたい。
たとえその時、彼の隣に他の人間がいたとしても……。