桜の木の下で
8.
『ゴメン優。』
彼が何を言おうとしているのか、分かっていた。
だって、要が本当に見ているのは俺じゃない。
“あの”、先輩だ。
でも、何もこんな日に振らなくていいと思う。
世の中はカップルの時間だ。
クリスマスイブだ。
『ごめん。他に好きな人ができた…。』
クリスマスイブに別れを告げられた人は何人いるんだろう。
しかも、ポツンと一本だけ生えている桜の木の下で。
『……ごめん。』
そのまま彼は俺に背中を向けて歩いていく。
そうか。
俺は振られたんだな。
やっとそれを理解すると、ふと上を見上げた。
桜の木。
桜には不思議な力があると要は言っていた。
もしそれが本当なら、俺を……。
次の瞬間。
あるはずのない大量の桜の花びらが俺を包み込んだ気がした。
◇◇◇◇◇
それは突然やってきた。
きっかけはカナタから聞いた奇跡の話だ。
正確には、桜の話。
あの話を、前の俺は知っていたんだ。
“要”から同じ話を聞いていた。
それを思い出した瞬間、膨大な記憶が押し寄せてきた。
『ここ』に来るまでの、記憶。
桜 に は 不 思 議 な 力 が 。
「優さん、どうしたんですか?」
ふとした瞬間に無口になる俺をさすがにおかしいと思ったのか、いつものように夕飯を食べた後、ソファーで俺を抱きかかえながら涼夜が声をかけてきた。
その腕は痛いくらいに俺を拘束していて。
涼夜の不安をそのまま表しているかのようだった。
「…なぁ、涼夜はどうして俺を好きになったんだ?」
「また突然どうしたんですか?」
「気になったから。」
その不安を感じる度に、俺は息苦しくなる。
思い出さなければ良かったと後悔する。
「……そうだなぁ。始めはただ、目が離せない危なっかしい人だなぁと思ってました。」
「危なっかしいって…。」
でも出会った事に対して後悔はしない。
初めて、“恋”というものを知る事ができたから。
「だって知らない人の家にはついてくるし、あんなことした俺の隣で普通に寝てるし…。でもそれがいつしか可愛いと感じるようになりました。それから…なんか、気になり始めて。いつの間にか、こんなに…。」
これも、桜の力なんだろうか。
そうではないと、信じたいけど。
「俺は…きっとずっとこの先、何があっても涼夜を好きでいると思う。」
「…優さん?」
俺は普段恥ずかしがってこんな事は言わない。
だからこれは余計に涼夜に不安要素を与えてしまうものなんだろうと思う。
でも、自分の気持ちを、きちんと伝えておきたい。
…俺にはもう、時間が無い。
「ずっと…涼夜を…愛しているから……それだけは、覚えておいてほしい。」
「……どう…したんですか?まるでいなくなってしまうみたいな…。」
「なぁ、涼夜。」
これは、さすがに勇気がいるから今までずっと聞けなかったし言えなかったことだけど…。
「どうして…抱いてくれないんだ?」
「…!」
「な、なんかさ、ずっと気になってたんだけど…言えなくて。俺は…本当に涼夜が好きだし、そういうことになっても…っ。」
顔が真っ赤になっているだろうことが分かっていたから顔を伏せて話していた俺は、突然視界が変わった事に反応できなかった。
目の前に涼夜の顔があることからソファーに押し倒されたんだと理解した時には、もう始まっていた。
「涼夜…?どう…っぁ…。」
「…優さんがあんな事言うから……せっかく今まで我慢してたのに…。」
そう言いながら俺の体を服の上からまさぐっている涼夜は、いつも以上に男の顔をしていた。
俺を求めている、顔。
「……がまんって…ぁっう…ん……なん…で?」
「…優さんに……嫌われたくなかったから。」
「え…?」
「どんなひどい事をしてしまうか分からなかったから…もしそれで優さんに嫌われたらどうしようって…。」
やばい。
なんなんだこの男。
かわいいとか思っちゃったんだけど。
「それだけは…嫌だから…ずっと我慢してたんです。なのに…もう無理です。」
突然首筋を舐められて、鳥肌が立った。
もちろん、気持ち良過ぎて…だけど…。
……うわぁ恥ずかしい。
「あ、りょうや…すき…だから…。」
「……もうこれ以上、俺を挑発しないでくださいね。」
あと、声は我慢しないでください。
それだけを言うと、急に手の動きと舌の動きが早くなって…。
言葉も充分に話せない状態になってしまった。
「あ…ぁ。」
「優さん…好きです…愛して…ます。だから…。」
ずっと、傍に……。
◇◇◇◇◇
目が覚めたら朝方だった。
あの後、思い出すのも恥ずかしい諸々の言葉を言わされ、これでもかっていうくらい涼夜に焦らされ、気を失うように眠ってしまった。
体のあちこちは痛いし、あらぬ所はまだ違和感があるし、とても今日一日は動けそうにないけど…心はとても満たされていた。
ようやく、一つになれたような気がした。
やっと、一つに…。
『優さん…ずっと傍にいてください……。あなたは俺にとって、もうただ唯一の存在なんです…。』
「……。」
これから俺は、涼夜を裏切ってしまう事になるんだろうか…。
俺はいずれ、ここからいなくなってしまう。
その事を涼夜に伝える事もせず…ただ消えてしまう事で、涼夜は俺を恨むだろうか。
それとも、他の誰かをまた好きになって、幸せになるのだろうか。
目の前で眠る涼夜の顔は、さっきのような飢えた男の顔ではなく…むしろ16歳という歳相応の顔をしていて。
俺は少し、泣いた。