桜の木の下で
6.
キスしていた。
仁って人が涼夜に近づいていく瞬間、確かに目が合った。
やっぱりどこかに出ていようと思って、部屋から出た瞬間、彼は笑った。
俺を見て、どこか挑戦的に微笑んだ。
そしてそのまま二人の顔が完全に重なる前に俺はそこから逃げ出していた。
それからただ俺は走り続けていて。
どこに向かっているのかも分からないままひたすら足を動かしていた。
どうしよう。
どうしよう。
俺…。
涼夜が好きなんだ…。
たった一、二週間の間に人を好きになるなんて思わなかった。
しかも相手は男だ。
…もしかして記憶がなくなる前も俺はそういう奴だったのだろうか。
男の誰かを好きになっていたのだろうか…。
『俺はもうあいつを好きなわけではありません。』
涼夜はそう言っていたけど、相手はそうではないのかもしれない。
「………。」
あんなに綺麗な人に迫られたら、また好きになるんじゃないだろうか…。
そんなことしか頭に浮かんでこなくて…。
思わず泣きそうになったとき、突然体が後に引き寄せられた。
「おわっ!!??」
走っていた勢いで倒れそうになったが、感じたのは慣れた感覚。
あたたかい感触。
「…は、優さん、結構…足速い…ですね…。」
「……涼夜…?」
俺は、いつの間にか涼夜の腕の中にいた。
その涼夜は何かの柵に寄りかかっている。
ようやく周りを見渡すと、あの、桜の木が目に入った。
どうして…俺を追いかけてきたんだ?
…あの人は…?
「優さん……俺の話を、聞いてくれますか?」
ぎゅっと俺を抱きしめる力を強めると、涼夜は耳元で囁いた。
そ、そんなところで話さないでくれ…!!
「りょ、涼夜…あの人は?置いてきていいのかよ…?」
「…優さん…。」
「せっかくあの人が来たのに…俺なんか追いかけてないで…。」
「……優さん、さっきも言ったでしょう?俺はもう、仁の事を好きではありません。それはアイツも同じです。」
え?
「でも…。」
「…さっきのあれは、単なるアイツの仕返しだそうです。俺がアイツを好きじゃなくなったことへの仕返し。」
「仕返し…?」
「そう。それに、あいつにももう、他に好きな人がいるって言っていました。さっきのだって、未遂です。」
「………。」
な、なんだか混乱してきた。
「優さん…。聞いてください。」
今まで聞いたことが無いほど真剣で…なおかつ緊張している声で涼夜は俺に何かを伝えようとしていた。
「俺は……。」
「……お兄さん達、何してるの?」
その時。すごく絶妙(?)なタイミングで、誰かから声を掛けられた。
「………え?」
涼夜の腕の中で何とか首を回して声のした方向を見てみると、そこには少年がいた。
制服を着ているところを見ると、中2,3年くらいか。
何かの部活をやってきたのか、大きな鞄も持っている。
そして彼の顔を見て、驚いた。
――…とても綺麗な、整った顔をしている。
涼夜とはタイプの異なる美形だ。
思わずじっと眺めてしまった俺に、少年はちょっとおかしな顔をした。
――…あれ…?
なぜだろう…?
すごく…懐かしい感じがする。
「…シカト?」
「えっ!?いや、ごめん!ちょっとボーッとして…。」
見とれていましたなんて、とても言えない。
「…どこのどいつか知らないけど…ちょっと空気を読んでから声をかけるべきなんじゃないのか?」
不機嫌さを隠そうともしないでそう少年に告げたのは涼夜だ。
てかなんでそんな急に機嫌が悪くなってるんだ…。
「はぁ…すいません。でも…。」
「でもなんだ。」
「…その、あなたが今寄りかかってる柵……すぐ外れるから危な……あ。」
少年がすべてを言い終わる前に不吉な音をたてながら…柵が川に落ちた。
と同時に、俺と涼夜はこの寒い冬に、冷たい川の中へダイブしてしまった。
◇◇◇◇◇
「…はい、タオル。」
「ご、ごめん…ありがとう。」
「……悪い。」
とりあえず川から上がった俺たちは、川に落ちてからもずっと心配して見ていたらしいさっきの少年からタオルを借りていた。
どうも彼はもう少し早く言うべきだったと反省しているらしい。
……今時いい奴だなぁ。
「それにしても…その、二人って、そういう関係なんですか?」
そして質問は直球だった。
「…え?」
「いや、さっきあんな往来で抱き合ってたから…勇気あるなぁと思って…。」
「………。」
「………。」
思わず俺と涼夜は顔を見合わせてしまった。
言われてみれば往来だった。
「あれ…?もしかして俺の勘違いでした…?あ、ごめんなさい。こんな勘違いきっと不愉快に…。」
なんだか一人で納得して話を進めてしまっている彼につられて、俺も涼夜も思わずといった風に言い返してしまった。
「や、俺は確かに涼夜が好きだけど…!」
「べつに勘違いではな…。」
「………。」
…。
……。
何だって?
「…優さん、今、なんて…。」
「………や、え?いや、その…そ、そういう涼夜こそ何言って……。」
「………。」
真っ赤になっているだろう俺の顔を見て、涼夜は何故か呆然としている。
その表情からは当然何も読み取ることはできなくて…。
ただ見つめているだけで何も行動を起こさない俺たちを見て、少年はたった一言…言った。
「……二人とも、もっと素直になったほうが…いいと思いますよ…。」
そして次の瞬間、俺は涼夜に再び抱きしめられていた。
そして……これが、彼…カナタとの出会いだった。