桜の木の下で
5.
『ごめん…他に好きな人が…出来たんだ。』
『……。』
本当は、なんとなく予想していた。
こいつが俺から離れていく事を。
そして、こいつが俺自身を見ていないことを。
俺に付属してついてくる物しか見ていないことを。
それは俺の両親だとか、財産だとか、結局はそういうものだ。
今まで付き合ってきた奴らは皆そうだった。
女とも男とも、何人もの奴と付き合ってきたけど、一人として俺自身を見てくれた奴はいなかった。
それでも俺は信じたかった。
今度こそ、今度こそと思って何度も付き合った。
そしてやっと仁と会えた。
こいつは今までの奴と違う。
そう思った。
思ってたんだ。
でも。
俺が両親とはあまりうまくいってない事を知った瞬間、彼は変わった。
そして気付いてしまった。
仁が見ていたものを。
どうしてこんな事になったのか分からない。
少なくとも仁は…。
始めは俺のことを想ってくれていた筈だった。
それすらも違っていたんだろうか。
そんな事を考えながら歩いている時に、優さんに出会ったんだ。
あまりにも悲しそうな顔をして桜を見ている優さんが気になった。
今までの人生で初めてのことだった。
こんなに誰かに目を奪われたのは。
あの日、俺が悲しい顔をしていたと優さんは言っていた。
確かにそれは正しい。
でも理由は仁に振られたからじゃない。
結局は誰にも愛されないおれ自身が…悲しかったんだ。
記憶がないと言う優さんは、なんというか…危なっかしい人だった。
知らない人の家にのこのこ着いて来る。
酔っ払った俺からキスをされても全く動じない。
おまけにそんなことされた相手と同じベッドで爆睡はする。
でも、年上とは思えないほど可愛いと感じた。
それは時折見せる笑顔だったり、寝顔だったり、真剣な顔だったり…。
あらゆる意味で目が離せない存在だった。
まだ出会って二週間も経っていないのにどうしてこんなに気になるのか分からなかった。
そんな時だ。
仁がやって来たのは。
◇◇◇◇◇
「俺には話す事なんてない。」
俺は仁の事が好きだった。
それは確かだ。
でもいつしかそれは薄れていった。
彼が、俺を見ていないと分かった時点で心が冷えたのが分かったんだ。
もう抱きしめたいと思えなかった。
キスをしたいと思わなかった。
だから、別れを告げられた時も未練がましく追いかけたりはしなかった。
なのに何故。
今更仁は現れたんだ。
『…そう…だよな。分かってるよ。分かってるけど…どうしても言いたい事があるんだ。これで最後にするから…頼むよ。』
「…涼夜、会ったら?」
控えめな声が後から聞こえてきた。
相手に聞こえないようになのか、とても小さな声だった。
「優さん……。」
「ほら、俺…他の部屋にいるからさ。涼夜だって…。」
『…涼夜。』
「……ほら、涼夜。」
「………わかりました…。」
どこか沈んでいるような優さんが気にはなったが、このままじゃ仁は引かないだろう。
あいつはそういう奴だ。
いつまでもエントランスで話していては仁だけでなく俺も怪しまれてしまう。
仕方なく俺はロックをあけた。
「涼夜、俺あっちにいってるから。あ、それとも外にいたほうがいい?」
「優さんが出る必要はありません。」
「いや、だってさ…。」
俺がまだ仁に未練を残していると思っているんだろうか。
しきりに優さんはここから離れると言っているが、冗談ではなかった。
確かに前までここに住んでいたのは仁だが、あいつはもう関係ない。
一体何の話があるのかは知らないが確実によりを戻そうとしているわけではないだろう。
なのにどうして優さんが遠慮する必要があるんだ。
そんな理不尽な怒りがこみあげてきた事で、やっと俺は自覚した。
今の俺が、誰を好きなのか。
「優さん、俺はもうアイツを好きなわけではありません。」
「……え?」
きょとんと俺を見上げる優さんは…可愛かった。
「俺は……。」
こんこん。
………。
……仁…。
お前はタイミングが悪すぎる。
「あ…。じゃ、じゃあ俺、とりあえず隣の部屋にいるから!」
今度は止める暇なく行ってしまった。
だから……ここから動く必要はないのに…。
でも優さんも色々思うことがあるのかもしれない。
仕方なく俺は玄関に向かった。
そしてドアを開けた瞬間、何故か仁が飛びついてきた。
「涼夜……やっと会えた…。」
「何言ってんだ…出て行ったのはお前だろう。」
無理矢理俺から引き離すと、彼は何かを探しているように辺りを見回した。
…何なんだ。
「とりあえずリビングに行こう。ここじゃ声が外に筒抜けだ。」
あまり長居して欲しくはないが仕方ないだろう。
仁は素直について来た。
「で?話って何?」
リビングに着くなり俺は切り出した。
そんな俺を見て仁は微かに笑った。
「お茶も出してくれないの?冷たいなぁ…。」
「必要ないだろう?」
「う〜んまぁいいけど。別れてくれって言ったのは俺だけど…実際は俺が振られたようなもんだし。」
「…気付いてたのか。」
俺の心が醒めていっていた事を。
「うん…。ま、でも俺も悪かったんだよね…。一瞬でも涼夜ではないものを見てしまったんだから。それは…事実だから…。」
「そこまで分かってるならどうしてここに来たんだ。」
ますます仁が分からなくなった。
すると彼は何かを見つけたみたいに目を細めると、おもむろに俺の首に腕を巻きつけてきた。
「…おい……?」
「今日来たのは、今までの謝罪と……ささやかなお返し?」
「……お返し?」
「俺、本当は見たんだ。この前デパートで…他の人と一緒に買い物してる涼夜の姿を…。」
「!」
そういうとそのまま仁は顔を近づけてきて…。
バタン!
「っ!?」
突然玄関が閉まる音がした。
……優さん…?
仁を突き飛ばすと、彼はくすくす笑い出した。
「仁…お前…。」
「だって、ちょっと悔しかったんだもん。俺には見せた事のない表情で彼に笑いかけててさ。だからこれは、俺を振ったお返し。」
「……。」
「安心してよ。本当にもうこないから。俺も…他に好きな人がいるから。」
それより早く追いかけたら?
とでも言うように玄関の方を指差した。
「仁…俺は、本当にお前の事…好きだった。」
「それは……俺もだよ。」
その言葉を背に、俺は部屋から飛び出した。