桜の木の下で
2.
「お風呂頂きました〜。」
せっかくなのでたっぷり湯ぶねに浸からせてもらい温まった俺は、満足気にさっきの部屋へ戻った。
そこはリビングで、すぐ横にはキッチン(やっぱり無駄にデカイ)がある。
ホントに…なんていうか、広い部屋だな。
「あ〜。おかえりなさーい。」
「……。」
俺を声で出迎えた涼夜は、ソファーに座り、片手にビールを持っていた。
そしてその前のテーブルの上にはすでに空いてる缶が5本。
「おまっ…俺が風呂に入ってるこの短時間でこんなに飲んだのか!?」
「え〜?うん。」
こころなしか顔が赤いような…。
口調もさっきとなんか違うぞ。
「お前…酒に強くないんじゃないのか?あんまり飲むと…。」
あ、そうだ。それ以前にこいつまだ16歳…
「ん〜?いいじゃん今日くらい〜。見逃してよ〜。じゃないとやってらんないよ〜。」
完全に酔っている。
頭なんか今にも倒れそうなくらいぐらんぐらんしている。
「やめとけって。それ以上飲むと…っ!」
彼の手から缶ビールを取り上げると、突然体が引っ張られた。
予期していなかったがためにそのままソファーの上にダイブしてしまい…。
俺は涼夜の上に乗り上げる格好になってしまっていた。
「っぶな…!いきなり何するんだよ。」
「…。」
もっと怒鳴りつけてやろうかと思ったけど、出来なかった。
目の前にある涼夜の顔が、あまりにも真剣だったから。
というより、俺を見ていなかった。
俺を通して他の何かを見ている。
「涼夜…?どうし…。」
「どうして…。」
え?
「どうして…おれは…。」
なん…だ…?
どうしてそんな苦しそうな…悲しそうな…顔を…。
今にも泣きそうなその顔を俺はただ呆然と見ることしかできなくて。
涼夜の手が俺の後頭部に回っていることにも気付かなかった。
あ、と思ったときには後から力を入れられて…。
あれ…?
「…ぅんっ…!?」
なにが…起こってるん…。
………。
キスされてる!?
目の前に広がる涼夜の顔に混乱しつつ状況を把握した俺はとにかく抵抗した。
だが相手は酔ってるとはいえ俺より身長も体格もいい男。
いや、酔ってるからこそ力の加減が出来ていないのかもしれない。
とにかく俺の抵抗なんて全く歯が立たず、それどころかあっさりと体勢を入れ替えられてしまった。
つまりは涼夜に上から押さえつけられてしまい。
余計に身動きが取れなくなってしまった。
「んっ……ちょ、やめ…りょ…や…。」
ただ無言で何度も何度もキスをしてくるこいつが怖くて。
でも不思議なことに嫌悪感はなかった。
男同士ですることがおかしいとか、そんな考えも全く浮かばなかった。
そのことにもただ混乱して。
するりとシャツの間から手が入ってくる。
もともと大きい服だから簡単にたくし上げられてしまった。
「…っは…。ちょ、まじ涼夜やめ…。わわわ、どこさわってん…!」
やっと口が開放されたら今度はあらぬところを触れられそうになった。
ていうかなんかしゃべってくれ…!!
「涼夜!」
なんとか手を押さえて抗議しようとした瞬間、涼夜の頭が落ちてきた。
言葉通りに。
俺の肩あたりに思いっきり当たったからかなり痛みを感じたが、それよりも動かなくなったこいつが心配になった。
「…おい…?」
「…ど…して……。」
「え…?」
「………仁(じん)…どうして……。」
その言葉は、度々俺を悩ませる一言になるわけだが、このときの俺はそんな事知る由もなく。
今はただこの状況でいっぱいいっぱいだった。
「お前…いくら酔ってるからって……このタイミングで寝るなよ…!!」
いや、俺にとってはかなり助かったんだけど。
それから俺はとりあえず奴の下から脱出し………途方に暮れた。
ちょっと忘れてたけど、俺、記憶喪失なんじゃん…。
何だこの状況。
気付いた時雨の中傘も差さず歩いていて、偶然それを見つけた涼夜に家に入れてもらい、風呂も入らせてもらい、キスされ、そのまま先に寝られて、途方に暮れてる俺。
ちょっと笑える。
普通記憶喪失になったら不安になったりするもんじゃないのか?
どうしてこんな事に…。
泣いてもいいですか。
…いや、まてまて。
泣いてる場合じゃない。
とりあえず今は暖房が入ってるとはいえ冬で夜は冷え込む。
このまま寝たら風邪引くかもしれないから涼夜に毛布でも……って、どこにあんのか知らねぇよ!!!
たっぷり10分くらい立ち尽くしたまま色々考えていたが埒が明かないので俺も寝る事にした。
とりあえず暖房の設定温度を上げて空き缶を台所に持っていき…。
そこで割れている大量の皿とコップを見つけた。
すべてまとめて袋に入っているが量が半端じゃない。
つい手がすべって割ってしまいました的な量ではない。
明らかに誰かが故意に割ったんだろう。
…どうして……?
無意識に横にあった食器棚のほうへ目を向けるとそこには割れた皿やコップと全く同じものが綺麗な状態で置かれていた。
もともとペアであった物らしい。
『どうして…仁…。』
「…。」
仁って…男だよな…?
…さっきの行動と言葉とこの食器…。
………。
なんだかうっすらと分かってしまったような気がして、さっさと寝る事にした。
と言ってもどこで寝たらいいのか分からなかったのでとりあえず空いてるソファー(なんか知らないけど3つもある)に横になった。
起きたら何を言ってやろうかと考えながら。