再び
「あっ!薫さ〜ん!!」
不意に耳に入ってきた自分の名前に思わず立ち止まったのが10分前。
条件反射のように声が聞こえた方向に顔を向け、走り寄ってくる人物を見てもまだそいつが誰か認識はしていなかった。
「うわぁ、まさかこんなところで会えるとは思わなかったなぁ。元気だった?」
そいつは俺の目の前で立ち止まると嬉しそうに語りだした。
ちなみにこいつがこんなところと称しているこの場所はただのファミレスの前だ。
「この前あった時も思ったけど、綺麗な顔してるよなぁ。」
そうか。
やっぱりどこかで会ったことがあるんだな、俺とこいつは。
…全く思い出せないけど。
「ねぇ…もしかして俺のこと覚えてなかったり…する?」
一言も言葉を返さない俺に不信感を覚えたらしい。
そいつはまさに恐る恐るといった感じに聞いてきた。
覚えていないものは仕方ない。
俺は開き直り、躊躇することなく頷いた。
途端、目の前の男は頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。
「あ〜。わざわざ忘れられないようにあんなことまでしたのにあっさり忘れられえてるよ俺ぇ〜。ちょっとショックだぁ〜。」
「悪いな。」
「会って最初に発した言葉がそれぇ〜?さらにショック〜。」
そこまで気を落とされるとは思ってなかったから、迷いなく頷いてしまったことにさすがの俺も若干罪悪感を感じるな…。
「ねぇねぇ、ホントに覚えてない?確かにもう二ヶ月近く前のことだけどさ。あんときもファミレスの前だったんだよ?ココではないけど。」
ファミレス…?
「そのときちょうど薫さんが彼女に振られてる時でさぁ〜。派手に平手打ちくらってて…。」
平手打ちなんて何回もされてるからなぁ…。
「んでファミレスの前に座ってるところに俺が声かけたんだけど…。」
…なんか嫌な予感がしてきた…。
俺の脳が思い出すことを拒否してるような…。
「薫さんは俺なんか目もくれずにさっさと帰ろうとするし…。」
ブツブツ文句(?)を言っていたそいつはおもむろに顔を上げ立ち上がると俺を見下ろしてきた。
…若干むかつくな。見下ろされると。
そして前触れもなく俺の右手を掴むと、そっとそこに顔を近づけていった。
…ちょっとまてちょっとまて。
どっかで見たぞ、このシーン。
「なんか俺、あんたの事好きになりそうだよ。」
「じゃぁ、またね。薫さん。」
「あぁっ!」
突然あの時の会話が甦ってきた俺は掴まれていた手を奪還してから声をあげた。
…せっかく俺の優秀な脳がきれいさっぱりあの事を消去していたのにあっさり思い出してしまった。
ちくしょう。
「思い出した?」
やけに嬉しそうに笑いながら俺を見る顔があのときとダブって見える。
腹立たしいことこの上ない。
「お前な。男相手にこんなことして楽しいか?」
「相手が男なら楽しくない。」
「俺も男だ。」
「いや、見れば分かるし。」
真顔で言われても腹が立つだけだ。
「薫さんだからしたいだけだよ。」
俺より身長が高い奴に首をかしげながらそんな事を言われても鳥肌しか立たないんですが。
ていうか…。
「…なんか告白してるみたいだぞ、お前。」
これまで付き合ってきた彼女から同じような言葉を何度も何度も聞いたような気がする。
……また嫌な事を思い出してしまった。
思わず顔を顰めながら言った俺に、かすかに眉を寄せた目の前の男はためらうことなく、はっきりと、確かにこう言った。
「実際落としにかかってるんだけど…。」
…。
……。
………。
「…誰を。」
「薫さんを。」
「……誰が。」
「俺が。」
「…。」
「…。」
数秒の沈黙の後、俺は殊更丁寧に言った。
「ゴメンナサイ。」
「うわちょっと何その棒読み!じゃなくて!そんなお互いまだ何も知らない今の状態であっさり結論出さないでよ!!」
「その何も知らない相手を落とそうとするお前が言えることじゃないだろ。」
「あ、確かに。じゃない!しょうがないじゃん。あの後からずっと薫さんの事忘れられないんだもん。」
だもんとか言うな。
また鳥肌が立ってきた。
「一目惚れってホントにあるもんなんだね〜。俺、薫さんに会って始めて知ったよ。」
俺はこの先もずっと知りたくない。
「あ、それに何も知らないわけじゃないジャン。一応名前と年は知ってるわけだし!」
…あ。
ここにきてやっと気付いた。
どうもこいつの事がしっくりこないと思ってたら…。
「薫さん?」
「……悪い。」
「…(あまり聞きたくない気がするけど)何が?」
「お前の名前、何だっけ?」
今度こそ、そいつは涙目になった。
「金田港。16歳。高校一年。両親、兄、妹の五人家族。将来の夢は野球選手。彼女いない暦1ヶ月。趣味特技は小学生の時から続けてる野球。」
声を掛けられてから10分後。
なぜか俺は目の前のファミレスに引きずり込まれ、何も知らないならこれから知っていけばいい!!とどっかで聞いたようなセリフを恥ずかしげもなく言い切ったこいつの経歴を聞かされている。
「ん…?て、ちょっとまて。1ヶ月って…。」
「うん。薫さんに会ったあの時、彼女がいたんだ〜。」
あははは〜と笑いながらサラッと言われても…。
「でもさ、あの後から薫さんの事が頭から離れなくて。あいつと一緒にいてもどっか上の空で。他に好きな人できたんなら別れようって言われちまった。」
「……。」
「でもさ、結構長く付き合ってきた奴だったのにあまりショックはなかった。それで気付いた。俺、薫さんの事が好きなんだって。」
だからそこが疑問なんだって。
「どうしてあんな数分の間で人を好きになれるんだ?」
「……それは、俺にも分かんないよ。」
「………彼女がいたんだよな?」
「え?うん。そうだけど?」
「…俺は、男なんだけど?」
「だからそれは見れば分かるってば。」
「男を好きだと思うことに抵抗はなかったのか?」
「……。」
誰かを好きになるってことすら分からない俺にはどうしても理解できない。
同性を好きになることが…ではなく、あんな短い時間で、今まで付き合ってきた彼女以上に他の人を好きになれるってことが。
「…俺にはわからないよ。」
「………。」
しまった。
気まずい空気を作ってしまった。
「……。」
「……。」
仕方なく目の前に置いてあった水を口に含みながら何か言葉を捜していた俺の耳にまた理解できない言葉が聞こえてきた。
「つまりどれだけ薫さんの事が好きか証明できればいいんだな!!」
………。
「は?」
「つまりホントに俺が薫さんのこと好きかどうか信用できないってことなんだろう??」
「…そうじゃなく…」
「よし、覚悟しとけよ!俺、本気で行くからな!」
「いや、だから…」
「実は彼女に振られてから何度も薫さんに会おうと思ったんだけど、あの時名前と年しか聞いてなかっただろ?またね。なんて言っておきながらとんだ失態だったと何度思ったことか!でもこうしてまた会えたわけだし、結果オーライかな!そんなわけでこれ、俺のアドレスと番号。」
まくし立てるように言い切るといつの間に書いたのかファミレスの名前の入った紙をすっと渡してきた。
頼むからもう少し俺の言葉を理解してくれ。
いや、少し言葉が足りなかったのかもしれない。
……次から気をつけよう。
「で、薫さんのアドレスと番号は?」
「……この話の展開で俺が素直に教えるとでも…」
「ここでちゅーしてもいいならいいけど。」
…ちくしょう。
あの後しぶしぶ携帯の番号とアドレスを教え、用事があるからと嘘を吐いた俺は会計をすべてあいつに押し付けファミレスを出た。
…厄介なことになってしまった…。
そういえばどうして今日俺は出掛けてきたんだっけ?
おとなしく家にいればよかった…。
そんなことをつらつら考えながらゆっくりと歩いていた俺の腕を突然誰かが掴んだ。
「…!」
「は、薫さん…ちょ…まって。」
「びっくりした…な、なんだよ。」
どうやら会計を済ませて俺を追いかけてきたらしい。
なんて足の速さだ。
「はー。だってせっかく会えたからもう少し一緒にいたかったのにそそくさといなくなるんだもん。」
「…用事があるって言っただろ。」
「それがホントか嘘かくらい俺にだって分かるよ。」
そんなにわざとらしかったか?
「まぁ突然男に好きとか言われても混乱するよな。うん。ごめん。でも俺は、今、ホントに薫さんの事が好きなんだ。信じられないかもしれないけど…それだけは言いたくてさ。できれば薫さんにも俺のこと好きなってもらいたい。俺、頑張るからさ。」
「……。」
どうしてそこまで誰かを好きになれるんだろう。
…どうして俺のことをそんなに……。
「薫さん。」
いつの間にか俯いていた俺は、名前を呼ばれてつい顔を上げてしまった。
目を見開いた俺に見えたのはアイツの顔だけ。
そして感じるのは唇の…。
「っ!!」
反射的に突き飛ばしたが、唇にはまだ感覚が残っていて思わず手で口を覆った。
そのまま呆然としていた俺に、アイツはぺロリと舌を出して…
「ごちそうさま。」
「っ…!」
「携帯に連絡するよ!居留守使わないでね〜!!」
そう叫んだかと思うと、俺が口を開く前に走って行ってしまった。
「………。」
俺はこの怒りをどこにぶつければいいんだ…。
というかアドレスと番号教えても結局はこんな展開って…。
「……あ〜。やられた…。」
唯一の救いはここが人の少ない住宅地だったということだけで…。
とりあえずこのときは空を仰ぐしかなかった。
そしてアイツはこれから宣言通り俺に本気で挑んでくることになる。