悩み 1
「優さん。」
桜の花も満開を過ぎて、季節は次第に夏に近づいてきた。
またしばらく桜を見る事が出来ないんだなと思うと少し寂しい気持ちになる。
「何?涼夜。」
それでも隣に涼夜がいて俺を抱きしめてくれるこの時さえあれば、幸せを感じる事が出来る。
でも最近、心に引っかかる事が起こってしまった。
「…何か、悩みでもあるんですか?」
「え?」
本当に、俺でいいのだろうかと。
涼夜の隣にいるのが俺で、本当にふさわしいのだろうかと。
「最近よく上の空であちこちぶつかってますし。テレビも頭に入ってないみたいですし。」
「そ、そんなことないけど…。」
俺はまだ学生で、自分で稼ぐ事が出来ない。
アルバイトだってたかが知れている。
なんだかんだ言いながらも仕送りを続けてくれている親のすねを齧らないと生きていく事すら出来ない。
それだけならまだしも俺は男だ。
将来を考えるなら涼夜の相手は女の人の方がいいに決まってる。
「そんなことあるから言ってるんじゃないですか。最近本当に優さんおかしいですよ。」
あぁ…何でだろう…。
涙でそう…。
「そうかなぁ。ただ、もうすぐ桜が散っちゃうなぁ〜と思ってただけだよ?」
「桜…ですか?」
「そ。寂しくなるなぁ〜って。」
せめて、涼夜が俺を好きでいてくれる間は、傍にいたい。
涼夜が、俺を必要としなくなるまで、この幸せの中で過ごしていたい。
「……そうですね。確かに寂しくなりますね。」
「だろ?」
「はい。でも優さんは、ずっと俺の傍にいてくれるんでしょう?」
それを、望んでくれるなら――。
「もちろん。」
俺はいつまでも、傍にいる。
「優さん。俺から離れないで下さい。ずっと…傍にいてください。」
そう言って拘束する優しい背中に、俺も腕も回した。
◇◇◇◇◇◇
4人で花見に行ってから早2週間。
もうほとんど桜は花びらを手放してしまった。
その事に若干の寂しさを感じながら日々を過ごしていたある朝、涼夜さんから呼び出しのメールが届いた。
『優さんのことで聞きたい事がある。』
そう言われてしまったら行かないわけには行かない。
優は俺の大事な親友なんだから。
…これは怖くて先輩には言えないけど。
ともかく俺は承諾の返事を即返すと、出かける準備を始めた。
今日の講義は自主休講に決定。
で、適当に入った店で甘い飲み物を飲みながら話を聞いていたんだけど、その途中聞き捨てならない単語が耳に入った。
「………婚約者…?」
思わず低い声で言ってしまったからなのか、涼夜さんは慌てたように弁解した。
「や、だから親が勝手に決めた…な。」
「親…?あ、そうか。涼夜さんの家ってお金持ちでしたもんね。すっかり忘れてました。」
「…(相変わらずはっきり言うな…)。」
「で、その事優は知って…。」
そこまで言ってふと思い出した。
数日前、急に優から電話がかかってきた。
大抵大学で会うため、めったに電話なんて使わないから珍しいな、と思った記憶がある。
内容は普通の取り留めのない事だった。
ただ所々引っかかる事を呟いていた。
女の人ってすごいよね、とか。
涼夜は俺のどこが好きになったんだろう、とか。
そのすぐ後には笑っていたから特に不思議に思っていなかったけど…。
「……優も知っているんですね。」
「…あぁ。」
…重い空気が流れた。
なんでも自分のせいにしてしまうあの優の事だ。
絶対、確実にマイナス思考に陥っている事は容易に想像出来る。
ただこの場合問題なのは、優が何を思っているのか分かっていない涼夜さんと、相手に何も伝えない優自身だ。
俺がこの事を涼夜さんに教えるのは簡単だ。
だけど…。
「はぁ〜…。」
「…要、その長いため息はどう意味だ?」
「いえ。で、聞きたいことって何ですか。」
とりあえず先に涼夜さんの話を聞いてみよう。
俺が教えるのは簡単だけど、それではこの2人はいつまで経っても同じ事を繰り返すんじゃないだろうか。
お互いが、自分達で見つけなくちゃいけない問題なんじゃないだろうか。
「…その、優さんがおかしくなったのがちょうどあの人が来た後だから…要、何か聞いてないかと思って…。」
「あの人って?婚約者?」
「……もう違うから…。」
げんなりした涼夜さんの様子で、相当参ってる事がよく分かったから真面目に話しを聞く事にした。
「俺が涼夜さんに婚約者ができたことを知ったのはたった今ですよ?優からは何も聞いていませんが。」
「…そうか。」
「…優がおかしくなったのは、ちょうどその後なんですね?」
「え?あぁ。それは間違いない。」
「………。」
そこまで分かってるのにどうして優の気持ちは分からないんだろう…。
優の性格を考えればすぐに分かりそうな事なのに…。
それともこういうことは当事者では気付かないものなんだろうか。
きっと優は、涼夜さんにたった一言言ってもらえれば自分に自信がつくだろうに。
「…その婚約者さんに会って、優なりに色々思うところがあるんではないですか?」
「色々…?」
「はい。」
「思うところって…?」
「……。」
しばらく涼夜さんの様子を伺っていたら、顔が青くなっていったのが分かった。
……なんか、こっちはこっちで色々勘違いしてる気がする…。
「まさか…やっぱり女のほうがいいとか…!」
あああぁぁぁやっぱり〜〜。
「どうしてそう飛躍した考えになるんですか…。」
「全然全く飛躍してない!」
「優がどれだけ涼夜さんのことを好きなのかはあなたが一番よく分かっているでしょう?」
「…あぁ。だけど…。」
涼夜さんはふと真面目な顔になると、ぽつりとこぼした。
「今までそう思っていた奴は…皆おれの傍から離れていく。」
「…。」
「優さんに会うまで…俺は誰にも愛された記憶がないんだ。」
「……。」
「……優さんは絶対に、誰にも渡したくない。」
「…それで?」
「え?」
「それで、涼夜さんは優の事を信じてないんですか?」
こんな、お互いが相手の気持ちを疑っているようなままじゃいつか絶対壊れてしまう。
「涼夜さんは、まず優の事を信じてあげないと駄目ですよ。」
「…信じる…。」
あぁ駄目だ。
やっぱり何も言わずに見守るだけなんて俺には出来ない。
「あぁもう。今回が本当に最後ですからね!」
「え?最後って…?」
驚いたようにそう繰り返すから、また違うように勘違いしている事がすぐに分かった。
「こんな助言をするのはもう最後って意味です!そりゃ相談とかならいくらでも聞きますけどね、涼夜さんと優はもっとお互いの気持ちをぶつけ合うべきですよ。」
「…ぶつけあって…いなかった?」
「2人とも肝心な事は全く話していなかったでしょう?5年前の時も。」
苦い思い出になってしまっているらしい。
涼夜さんは思いっきり顔をしかめた。
「…今、優はきっと不安になっているだけですよ。」
「不安?」
「そう。今の涼夜さんみたいに。」
それだけ言って俺はまだ残っていた飲み物を飲み干した。
「うわっ甘。」
思わず声を上げた俺に、ようやく涼夜さんは笑顔を見せた。
「要は甘すぎる。」
涼夜さんがいなくなった後、その席に座ったのは先輩だった。
「…いつからいたんですか。」
「はじめっから。」
「……。」
「要、ああいう時はもっと相手を焦らしてあげなきゃ駄目だよ…?」
…先輩…。
「それに大丈夫。」
「え?」
「あの2人は何があっても別れないよ。」
「…先輩?」
何だか意外な言葉を聞いた気がする…。
「だって、なんだかんだ言ってあいつらも要を悲しませたくはないだろうし。」
……。
いや、それは先輩が怖いってだけじゃないですか…?