過去から未来へ



いつの間にか恋人が出来ていた。
部活前に人気のない所に呼び出された時は何かしてしまったのかと内心ビクビクしていたが、思いがけず相手の口から出てきた言葉は告白だった。

驚いた。
生まれて16年経って初めて告白されたことではない。

相手が、
男―――ずっと憧れていた先輩、日向 拓(ひゅうが たく)―――だったからだ。

一応言っておくが、俺―――高橋 要(たかはし かなめ)―――は生まれてこのかた告白なんてされたことないししたこともない。
顔はとても綺麗とはいえない平凡さ(これは何故かあらゆる人から否定される)。
成績だってそこそこで運動神経も人並み。
そんな俺に告白してきたのはあろう事か学園きっての優等生。
全国模試トップテンは当たり前。
弓道部での成績は全国レベル。
おまけに人当たりもよくかっこよく、皆に好かれる性格の持ち主。
そして俺は先輩のことをそういう意味で好きだった。

これはミラクルだ。

嬉しかった。すぐにでもオッケーしたかった。
でも、できなかった。
俺にはやらなければならないことがあったから。
いや、俺が勝手に、しなければいけないと思っていることだけど。
それはきっと、いつかこの人を悲しませてしまうことだと思うから。
だから、断ろうと思った。

だが、先手を取られた。

俺が言葉を発するより前に視界いっぱいに先輩の顔が映ったときは心底驚いてしまったがそれよりも気になったのは小さなシャッター音。

いやぁな予感は当たるもの。
翌朝の掲示板には俺と先輩のキスシーンが載ってる新聞(毎日新聞部が発行してる。頑張るなぁ。)が張り出されていて。
でかでかと『日向拓と高橋要、電撃のキスシーン』とか書いてあった。
俺はともかく先輩は学校内では有名だったから。
気付いた時には俺は先輩と付き合ってることになってしまっていた。

納得いかない。










「いやさ、確かにいきなりキスしたのは悪かったよ。まさか新聞部が後つけてきてたとは思わなくて…。」

あの告白の日から二週間後の放課後。
たまたま誰もいなかった部室の中で先輩がそんなことを言ってきた。
しらじらしい。
先輩がそんな見逃しするわけがない。

「えーと、こっち、向いてくれない?…要。」
「………。」

おれは高校に入ってから弓道部に入った。
先輩の姿にあこがれて…とかではなく、ただ単に楽しそうだったから。あの小さな的に矢を当てることができたらとても楽しそうだな〜と思ったから。
先輩にその事を言ったら笑うでもなく真剣に頷いていた。
いや、ココはそんな真剣に頷く場面ではないと思うけど。

「要。」

そしてそれから俺はなぜか先輩に気に入られ、よく話しかけられるようになった。
まさかそれがお互い先輩後輩を超えた想いになってしまうとはきっと先輩も思わなかったはずだ。

…はずだ…よな?

最近になってようやく先輩の性格が掴めてきた。
先輩は意外と策士だ。
始めは拒んでいてもいつの間にか相手のペースに嵌っていて、気付いたら先輩の言うとおりになっていることなんてしょっちゅうだったりする。

そんなわけだからあのキスだって新聞部だって、考えの内だったんじゃないかと勘ぐってしまう。

なんて考えていたら、いきなり肩を掴まれて無理矢理反転させられた。
すぐ近くに先輩の顔。

「な、なに…。」
「こっち向いてくれないから。……ねぇ、要は俺の事、嫌い?」
「……嫌いでは…ないですけど。」
「じゃあ好き?」
「………先輩としては好きですよ。」

的を見つめている時はかっこいいし、後輩の指導だって熱心だし。
とても尊敬している。

「……もしかして、そういうのに偏見とかある?」
「どういうのですか?」
「男同士…とか。」

俺が拒み続けている理由がそうだと思っているんだろうか。

「もしそうだったら今頃俺は部活を辞めてます。」

はっきりそういうと苦笑されてしまった。

「要のそういうところが好きだよ。」

先輩に目を見つめられてそんな事を言われたら、そんな気がない人でも絶対ドキッとしてしまうに違いない。
やっぱりかっこいいよなぁ。

「……どうしても、俺の事、そういう風に見れない?」

それなのに俺はこんな顔をさせてしまう。
悲しげで、何かを諦めているような、顔。
先輩にこんな顔をさせている自分がとても汚い人間に思えてしまう。

昔、同じような顔をした人を俺は見たことがある。
すべてを知って、すべてを諦めようとして、それでも出来なくて。


『俺は、あいつを、愛してるからね…。』


「……昔、いたんですよ。男同士で付き合ってる人たちが。その人たちは色々悩みを抱えていて。男同士ということもそうですけど、それ以外にも問題があって。それでも二人は想い続けていました。」
「……。」
「俺は…そんな二人を、応援してました。二人には絶対言えなかったけど。」

先が見えない将来のことに不安を抱えながらも必死に想いあっていた。
そしてその姿は、俺から見てもとても幸せそうだった。

「少なくともその時その瞬間、二人は幸せだったんだ。」

でも。

「…二人は別れてしまった?」

静かな先輩の声が、なぜか、真剣だった。
心の中の何かを見透かす様な、澄んだ目で、俺を見ながら。

その目が、“あの日のあの目”と重なった。




『君にそっくりの顔で、高橋要という男。』
『……!』
『俺は、本当に、彼のことが好きだと思っていたんだ。…あの時は。』
『…あの時?』
『そう。今思うと、あれは恋というより、憧れだったのかもしれない。同級生なのに、他の誰とも違っていたあいつに、俺はずっと憧れていた。』
『――…。』
『でも、涼夜に対するこれは“恋”だ。いや、もしかしたら……むしろ、“愛”なのかもしれない。』
『愛……。』
『あ、あいつには内緒だぞ?』
『う、ん。』
『……要にも、悪いことをしてしまった…。』




悲しそうにあんなことを言っていたあの人に、
幸せそうに笑っていたあの人たちに、今度こそ、幸せになってほしいから。

「……まだ、二人は別れていません。」
「…“まだ”?」
「ある日突然、一人が消えたんです。存在すらなかったかのように。」

俺だけはその理由を知っているけれど、誰にも言えない。
たとえ、先輩でも。
きっと、信じてくれない。

「俺は、ある人を探しているんです。」

二年前のあの日からずっと。

「…それは、その、消えた人?」
「……そうだけど、違う。」
「…要、分からない。もっと、俺にも分かるように言ってくれないか?」
「………先輩、ごめんなさい。俺は二年前からずっと、探している人がいるんです。だから、先輩とは……付き合えません。」

息を呑んだ先輩を見ていられなくて、俺は部室から出て行った。
先輩は、追いかけてこなかった。


今なら分かる。
あの二人がどんな気持ちだったのか。
どれだけ苦しい気持ちで、どれだけ幸せな日を送っていたのかを。


「っう…。」

その声で、自分が涙を流している事を知った。
好きな人と一緒に居られない事が、こんなにつらいことだったなんて。



あの人がいなくなった時、泣いていた涼夜さんを思い出した。
泣いて泣いて、涙が枯れて出なくなるまで泣いて。
そんな姿を見ていられなかった。
だってあの人は言ったんだ。
待っててくれって。
何も言わずに消えてしまう自分を許してくれるなら、あの桜の木の下で待っててくれって。

『あの人は、きっと涼夜さんの前にまた現れる。あなたがあの人を想い続けていられるなら、きっと。……あの、桜の下で。』

そう言った俺に、涼夜さんは掴みかかってきた。

あいつの居場所を知っているのか。
どうして何も言わない。


『別れを言うのがつらいから涼夜には何も言えない。信じてくれるのかどうかも分からない。それに、たとえ信じてくれたとしても、また会えるとは限らない。また会えたとしても、気持ちが変わっていないとは言い切れない。だから、涼夜にはこの事は言わないで。涼夜には、もっと他の、幸せな人生があるかもしれない。これから他の人と愛し合うかもしれない。だから…』


何も知らない。
ひたすらそう言い続けた俺に涼夜さんは、もう来るな、と言った。
俺は結局何も出来なかった。




気付いたら公園に来ていた。
涙は止まらなかったけど、少しだけ落ち着いた。
目に入ったのは桜の木。
あの桜の木とは違うものだけど、見ていると不思議と心が穏やかになる。
二年前の二人との時間は、俺にとっても幸せな時だったのかもしれない。

「……。」

涼夜さんにはもう来るなと言われた。それは、もう関わるな、ということだろう。
でも俺はあの人を探している。
だって俺があの人と会わなければ、二人は出会えないから。

そして一年前、あの桜の木の下で涼夜さんを見た。
涼夜さんはあの人を待っている。
俺の言葉は、届いていたんだ。




「…どうしたの?」
「…っ!?」
桜の木を眺めながら物思いにふけっていた俺に、突然誰かが声を掛けてきた。

驚いた。

声を掛けられたことにではない。
その声が、とても、聞き覚えのある声だったから。

あの時よりも、少しだけ高い声。
でも、確かにこの声は――…。

「……ぁ。」

恐る恐る顔を上げた俺が見たのは、確かに、あの人だった。
他校の制服を着たその姿は若干違和感があるが間違いない。

―――やっと…見つけた。

「…何か悲しいことでもあったの?」
「え?」
「いや、泣いてたから…。」

泣いていたことを忘れていた。
だって、涙が止まるくらいの衝撃だったから。

「なん…でもない。」
「でも……。」

彼はそう言うと、何かを追求するわけでもなく、桜の木の下に座った。
俺も思わず隣に座った。
穏やかな空気。
二年前も二人でいる時はいつもこうだった。

「なぁ、俺、北原 優(きたはら ゆう)って言うんだけど。君、名前なんていうの?」
「…俺は高橋要。」
「そっか。もしかして一年?」
「そうだけど。」

そういうと嬉しそうに笑った。
二年前とは違う、少年ともいえる笑み。

「じゃあ同い年だ!俺さ、今年から1人暮らし始めたんだけど、まだ友達あんまいなくて寂しかったんだ〜。友達になってよ。」

なんの気負いもなくそういえる優がとても好きだ。
恋とかそういうものではなくて、人として。

「こちらこそ…よろしく。」

笑顔がとても懐かしくて、また涙が止まらなくなった。







「俺、あの後考えたんだ。」

次の日、やっぱり先輩との唯一の接点である部活は手放したくなくて朝練に向かっている途中、俺を待っていたらしい先輩に捕まった。
彼を拒んだのは俺だけど、いつも通りに接してくれて心底ホッとした。

「何を…ですか?」
「……うん…。どうして俺が要を好きになったのか、言ってなかったと思って。」

言われてみれば聞いてなかった。
でも、逆に俺がどうして先輩を好きになったのか聞かれてもきっと戸惑ってしまう。
明確な理由がないから。
すべてが好きなんて事は言わないけど、先輩の存在に恋したといってもいいのかもしれない。
気付いたら、惹かれていた。

「要がこの部活に入ってきた時、俺聞いただろう?」
「え?」
「どうして弓道部に入ったのかって。」

あぁ。俺が、あの小さな的に矢を当てることができたらとても楽しそうだな〜と思ったから。とか答えたやつか。
あの時、確かに先輩は真剣に頷いていたけど、なにか関係があったのだろうか。

「俺は、あの言葉に救われたんだ。」
「…え?」

あんなセリフに?

「……小さい頃から弓道やってて、周りからの期待が大きくて。年数が経つにつれて楽しいという気持ちを忘れていた。そんな気持ちよりもむしろ義務だった。やらなければいけないという義務。皆の期待を裏切ってはいけないって。そして段々苦痛になっていた。もうどうしていいのか分からなくて。…そんな時、要が入ってきた。要からあの言葉を聴いたとき、すっと気持ちが軽くなったよ。楽しめばいいんだって。どうして忘れていたのか疑問に思ったくらいだ。」

―――だから先輩はあのときあんなに真剣に頷いていたのか・・・。

「楽しむものなんだって、俺に教えてくれたのは要なんだ。それからかな。気になりだしたのは。」
「……。」
「要、俺は待つよ。」
「………え?」

そういう先輩の目は真剣で。
でも、どこか自信に溢れていて。

――あぁ、そうか。俺は、この目に惹かれたのかもしれない。

「要が誰を探しているのかは分からないけど…俺は、待つよ。」
「……。」
「だって、要は…。」
「ダメですよ、先輩。」

嬉しい。
嬉しいけど、ダメだ。
だって、途方もない話だ。
俺を、待つなんてこと。

「先輩には、俺なんかよりもっと、ふさわしい人がいますよ。そんな、俺なんか待ってないで…。」

不意に、何かがこみ上げてきた。
これは、あの人の言っていた事と似ている。

「…要。俺は、たとえそれが5年でも10年でも待つ自信があるよ。」
「……っ!」
「だって、要は、俺のことが好きだろう?」

必死に頭を振ってももう遅いのかもしれない。
先輩は、決めてしまったんだ。

「お…れは、あの二人が…また幸せになるまで、誰とも恋愛はしません。」
「…。」
「そう…決めたんです。そうしないと…俺も、相手も、傷つくだけだから…。」
「よく分からないけど…。泣くなよ。要。」
「…うぅ〜。」
「可愛いなぁ…。」

そういうとそっと抱きしめられた。
もう、拒否はできなかった。
…先輩が、好きだから。

「誰とも恋愛をしないというなら、尚更俺は待てる。要、俺はずっと傍にいるから。それだけは忘れないで。………それだけは、許して欲しい。」

俺はもう、頷く事しかできなかった。




それから先輩は言葉通りずっと俺を待っていてくれた。


そして俺と先輩が恋人同士になったのは、3年後のことだ。