幼い日の思い出
上原家にはいつも2人を待ってる存在がいる。
「あ、犬…。」
午後から雨が降り出してきたとある夏の日。
背中にランドセルを背負った小学生2人組みは、仲良く傘を差しながら家へと向かっていた。
ダンボールの中にいる犬を見つけたのは、2人のうち背が小さい少年の方だった。
「……『だれかわたしをひろってください』。」
ダンボールに書かれている言葉の意味を理解すると、少年は眉を顰めた。
だがそれは、雨の中びしょ濡れになりながらも鳴き声を出さない犬を見て、悲しげな表情に変わった。
「…海斗。」
そんな少年―-海斗――の変化を見て、もう1人の少年―-聖也――が声をかけた。
海斗はそれでも犬から目を離すことができなかった。
「……海斗。」
「…分かってるよ、聖也。中途半端なやさしさがこいつにとって良くないってことは…。」
海斗は今までに何度もこういう場面に遭遇してきた。
それは犬だったり猫だったり、中にはインコが捨てられていたこともあった。
始めの時こそ海斗は家に連れてきてしまったり、こっそり食べ物をあげていたりしていたが、ある事が起こってからはぱったりとやらなくなった。
あの日も雨が降っていた。
傘を差しながら歩いていた海斗の耳に聞こえてきたのは鳴き声。
「…ねこ…。」
目を凝らすと電柱の陰に隠れてダンボールが置いてある。
そして黒いかたまりが中で動いているのが分かった。
「お前…捨てられたの…?」
声をかけるとまるで返事をするかのように「にゃ〜」と鳴いた。
「ごめんね…俺、今何も持って無くて…。」
そういうと少しでも寒さを和らげようとするかのように猫を抱き上げると、暫く頭をなででいた。
しかし、いつまでもそのままでいるわけにもいかず…。
またダンボールの中へ戻すと名残惜しげに家に向かった。
そして翌日、家の近くの道路でその猫が死んでいるのを見つけた。
あのあと、海斗の後を追って道路で車に轢かれてしまったらしい。
そして幼い海斗も理解してしまった。
自分のあの中途半端な優しさがいけなかったのだと。
一度与えられた温もりを求めて結果的に車に轢かれてしまったということを。
それから海斗は一切手を出さなくなった。
そして今回もそのまま前を通り過ぎるつもりだったのだ。
鳴かない姿を見るまでは。
「…こいつ、どうして鳴かないのかな…。」
「あぁ…。そう…だな。ちゃんとこっちを見てるのに…。」
「鳴けないの…かな。」
「え?」
特に確証のある発言ではなかったので、海斗はそれきり黙ってしまった。
目だけは犬に向けたまま。
そして聖也は気付いた。
鳴かない姿。
鳴けない姿。
…泣けない、姿。
…海斗は自分と重ねてしまっているんだな。
「……ねぇ、海斗。」
「え?」
「かあさんに頼んで、こいつ飼わない?うちで。」
「………え?」
ようやく犬から目を逸らし、目をぱちぱちさせながら聖也を見上げる姿はとてもあどけなかった。
「よく言ってたし。海斗は全然わがままを言わないから寂しいって。きっと海斗が頼めば即オッケーだよ。」
「でも…。」
「俺も一緒に世話するからさ。」
海斗は、ニコニコと笑う聖也の顔を見ていると、次第に気持ちが固まっていくのが分かった。
「いい…のかな?」
「たまにはわがままも言えって。な?」
そして聖也の言う通りすぐに承諾され、犬はそのまま上原家で飼われる事になった。
その犬は人間不信になっていたらしく、暫く手がつけられない状態だったが、年数が経つにつれ徐々にその様子も緩和され…。
ワンワン!!
「うわっ!」
がしゃーん!ばたーん!
「……海斗…何お約束みたいな騒音立ててん………あぁ、ラッキーか。」
ラッキーと名づけられたあの時の捨て犬はいまやすっかり海斗に懐き、しょっちゅう奇襲をかけるようになった。
「あーあ。すっかりのしかかれちゃって。」
苦笑している聖也も、楽しそうに笑っている海斗も知らない。
ラッキーは、海斗が聖也しか見ていないことに不満を持ち、いつも奇襲をかけていることを。
海斗が聖也をいつもつらそうに見ていることに気づき、聖也に冷たい態度をとっていることを。
もしかしたら海斗の気持ちを一番始めに知ったのはラッキーなのかもしれない。
でも、聖也が海斗を守っていることを一番知っているのもラッキーだったりする。
二人が寮に入ってしまってからは遊び相手がぐぐっと減ってしまったので、時々寂しかったりするが不安はない。
『あの日』みたいに置き去りにされたわけではないから。
必ず帰ってくると分かっているから。
そしてラッキーは今日も2人を待っている。
あの日拾ってくれた感謝の気持ちが伝わればいいのにと思っていることも、きっと2人は知らないんだろうと思いながら…。
END.