2章
Act22.5
海斗の部屋から飛び出した聖也は途中で徹の声が聞こえた気がしたが、そんな事に構っていられなかった。
それくらいの衝撃で。
ずっと海斗の涙が見たいと思っていた。
もちろん笑っている顔が一番好きだ。
でも泣きたい時に…泣いてもおかしくない時にまで涙を流さない海斗が、いつか本当に壊れてしまう気がしていた。
いつか抱えてるものをすべて涙に変えて欲しいと思っていた。
でも。
ずっとずっとそう思っていた海斗の涙が、まさかこんなところで見る事になるとは思わなかった。
そこまで考えて聖也はふと足を止めた。
あの時の海斗の表情。
どこかで見た事があるような気がした。
まるで10年前のあの時のような。
まるで中学のときのあの時のような。
背筋がぞっとして、くるりと来た方向を振り返った。
「…あれ、上原君?」
後ろでガチャ、とドアが開く音とほぼ同時に、聞きなれた声がした。
そこにいたのは栗原だった。
「……栗原…。」
「なんかひどい顔色だよ?…大丈夫?」
少し小走りに走り寄ってくる彼に、海斗が重なる。
外見も性格も似ていないのに、初めて話したときから聖也はそう感じていた。
だからつい放っておく事が出来なかった。
栗原が困ったり悲しんでいる姿を見ると、昔の海斗を思い出してしまう。
それくらい、栗原と海斗は雰囲気が似ている。
そしてそう思ってしまうくらい、聖也は10年前の事を気に病んでいて。
過去に縛られていたのは、聖也も同じだった。
「…何かあったの?」
「……海斗、が…。」
「鈴森君?」
そして何故か栗原は海斗の話になると敏感に反応する。
顔を見る限り海斗の事が嫌いとか、苦手とかそういう感じではないと思う。
でも聖也には栗原が何を思っているのかが分からなかった。
「海斗が…泣いてたんだ。」
「泣いて…?」
それ以上は言えなかった。
海斗を押し倒して押さえつけて、挙句の果てに泣かせてしまったなんてこと、とても言えなかった。
でも栗原は聖也の表情から何かを察した。
両手をおもむろに上げると、そのまま聖也の頬を挟んだ。
そのときにパンっといい音がした。
まさか栗原がそんな事をするとは思っていなかった聖也は驚いたように目を見開くと、じっと栗原の目を見つめた。
はっきりと分かる。
その栗原の目には明らかに怒りの光が宿っていた。
「……栗原…?」
聖也が戸惑ったように声を掛けても、栗原がその光を弱める事はなかった。
「どうしてここに上原君がいるの?」
「…え?」
声からも彼が怒っている事は確実だった。
だが、何に対して怒っているのかが全く分からない。
「僕言ったよね?上原君が…本当に好きな人とは離れないで欲しいって。」
年末の事だ。
聖也は栗原に告白をされた。
今まで色んな人から告白をされてきたが、あんなに驚いたのは初めてだった。
相手が男だとか、友達だとか、そういうことに驚いたのではない。
そんな時にまで海斗と重なってしまった事に驚いた。
そしてその時になってようやく、自分が海斗から手を離していたことに気付いた。
ずっと傍にいると誓ったのに。
急に目が覚めた気持ちになって、全てを栗原に話した。
自分は栗原をそう言う風に見れないということ。
今まで海斗と重ねてしまっていた事に対する謝罪。
栗原は全てを聞いて、それでも笑った。
ありがとう、と言って。
そして好きな人とは離れないで欲しいと。
聖也はそれに頷き、お礼を言いながら最初で最後の抱擁をした。
「上原君は鈴森君が好きなんでしょう?」
「………知ってたのか?」
「見てれば分かるよ。」
2人とも。
栗原は最後の言葉を飲み込むと、ようやく聖也の頬から手を離し、海斗の部屋の方向を向いた。
「どうして鈴森君が泣いてるのに上原君はここにいるの?彼の傍にずっといるって思ってたんじゃないの?」
「……。」
「どうして鈴森君が泣いていたのか、本当に分かっているの?」
「…本当の…理由?」
「そう。………今戻らないと、彼を失う事になるかもしれないよ?」
海斗が泣いた理由は明らかなのに、何故かそれをはっきりと言える事が出来なかった。
あの、人形のような表情が…どうしても気にかかるからだろうか。
「…本当に鈴森君が泣いた原因が上原君なら、癒す事が出来るのも上原君なんじゃないのかな。」
何かを知っているような、悟っているような、そんな栗原の言葉は今の聖也の心に優しく広がった。
「早く行って来なよ。」
そして背中を押してくれる栗原に、心から感謝をして、聖也は足を踏み出した。
END.