2章
Act17.5
「あ、茶髪の先輩。」
突然自分のクラスに現れた1つ上の先輩に呼び出された要の第一声はそれだった。
言われたほうは「は?」と一瞬眉を顰めたが、すぐに「あぁ…やっぱり。」と呟いて何かを納得していた。
「お前、あれ見てただろ。」
「あれ…って、何ですか?」
初対面のはずの2人だが、挨拶もそこそこにいきなり本題に入った。
一応教室の前で、他の生徒もちらほらいるから控えめな表現で伝えてみたが相手には分からなかったらしい。
茶髪の先輩――徹――は、まわりをちらりと見て、まぁいいかと開き直った。
「俺が海斗にキスしてたの見てただろ?」
「海斗…?あ、鈴森先輩ですね?」
ぱっと笑った要に、数人の視線が絡みついたが徹は逆に嫌そうな顔をした。
「随分懐いてんだな。」
「はい。」
なんの躊躇いもなく、いつになくニコニコとしながらそう頷く要を見ていると、胸がざわめく。
さっき海斗が要の腕を掴んでいなくなった時にもこのざわめきはあったけれど。
「だって鈴森先輩っておもしろくありません?」
「…ん?」
これは予想外の答えだな、と思い徹は首をかしげた。
まぁ確かにおもしろいけど。
と、海斗が聞いたら明らかに怒るだろう事を考えながら。
「で、それがどうしたんですか?」
キスした事をそれ、の一言で片付けてしまう事や、年上相手に全く物怖じせず自然体で接している要に、徹はなんとなく彼が“高嶺の花”と言われている理由を理解した気がした。
「海斗に何言ったんだ?」
「何も。」
そしてこの“高嶺の花”の受け答えのせいでなかなか話が先に進まない。
これが単なる天然なのか狙ってやっているのか悩みどころだ。
もし狙ってやっているとしたら上手く誤魔化させてしまうかもしれない。
徹は要をよく観察する事にした。
まぁ実際は単なる天然なのだが。
「…俺は海斗にまだ自分の気持ちを言うつもりはなかったんだ。」
「過去形って事は、もう言ったって事ですか?」
「言ってはないけど、あいつは多分気付いたよ。」
実は海斗はキスの事でいっぱいいっぱいで、肝心の徹の気持ちについては全く気付いていないとは夢にも思っていない2人である。
「…それが俺と何か…?」
「………。茶髪の奴とキスしてたとか…いや、それは言ってないにしてもその事を匂わせるような事、あいつに言わなかったか?」
「そんなこと――――……あ。」
ようやく何かを思い出したらしい要はしまったというように顔を顰めた。
「あ―…すみません。」
「言ったのか。」
「はい。茶髪の先輩と付き合ってるんですか?って。」
海斗は鈍いようで鋭い。
その言葉とさっきのキスの事をうっすらとでも覚えているとしたら、確実に相手は徹だと気付いているだろう。
「やっぱりか…。」
「…なんか、やっぱり余計なこと言いましたよね俺。」
「そうだなぁ…。」
ちょっと遠い目をしながら否定しない徹に、要はちょっと好感度を持った。
だから、ちょっと話したくなったのかもしれない。
「鈴森先輩、桜があんまり好きではないみたいなんです。」
「は?」
突然の話題転換に徹はポカンとした顔をした。
「…さっき、授業が始まるまで話してたんです。その時、すごく悲しそうに桜を見てましたから。」
「保健室にいないと思ったらずっとあそこで寝てたのか…。」
「そうなんです。好きではない桜の木の下で、二時間近く寝ていたんです。」
要が何を言おうとしているのか見極めようと、徹はじっと耳を傾けている。
「俺と話した少しの間で、もしかしたら少し考えが変わったのかもしれないですし、実はもともと桜の事が好きではなかったわけではなかったのかもしれません。」
「……(ややこしい言い方だな)。」
「あるいは、嫌いなものを受け入れるだけの懐の広さを持っているのかもしれない。」
桜の好き嫌いと昼寝の話だけでそこまで考えが広がる事にまず驚くべきだろうか。
「あとひとつ。」
え、今の話はそれで終わりかよ!?
思わずそう思ったがそれを口に出す事はかろうじて堪えた。
「どうしてあなたが自分の気持ちを押し殺そうとしているのかは分かりませんが…伝えられる時に、伝えられるって事は…実はとても幸せな事だと俺は思ってます。」
そういって、少し儚げな微笑を浮かべる要がなぜか徹には泣いてるように見えた。
何か大きなものを背負ってるような、抱え込んでるような、そんな感じ。
そしてもしかして、今の話は俺の背中を押そうとしているのだろうか?
告白できるうちにしていないと、後悔すると。
海斗は自分を否定する事はないと。
「……なんか生意気なこと言ってすいませんでした。」
無言の徹に何を思ったのか、ぺこりと頭を下げると要は教室に戻っていった。
「…伝えられるうちに…か。」
ぽつりと呟いたその言葉は、他の誰の耳にも届く事はなかった。
END.